W杯で五輪出場を呼び込んだ渡邊雄太 自らを「崖っぷち」に追い込んだ理由と、確かな成果

大島和人

渡邊はプレーと言葉、何より姿勢でチームを引っ張った 【(C)FIBA】

「このチームでパリに行けなかった場合、今回で代表活動は最後にしようと思っています」

 渡邊雄太はスロベニアとの強化試合を終えた8月19日の東京・有明アリーナで、そう観客に語りかけた。

 パリオリンピック(五輪)予選を兼ねるFIBAバスケットボール・ワールドカップ(W杯)で「アジア勢最上位」に入ることを、トム・ホーバスヘッドコーチ(HC)は目標に掲げていた。日本にとっては「ぎりぎり」でクリア可能な目標だった。ただ大会期間中に負傷者が出る可能性は低くないし、組分けを見るとフィリピンや中国は日本に比べて恵まれていた。それが容易なミッションでないことも明らかだった。

 渡邊は八村塁と並ぶ現役NBA選手で、206センチ・97キロのフォワード。高確率の3ポイントシュート、ハイレベルな守備力を持つ28歳のオールラウンダーだ。この代表では不可欠な主力であり、稀少なビッグマンであり、言葉の重みを持つリーダーでもある。

「渡邊がいなくなったら、日本代表はどうなってしまうのか」

 正直に言うと、そんな暗い想像が筆者の脳内に広がった。しかし彼とチームは「伏線」を回収して、ストーリーをハッピーエンドで終えた。

「もし負けたら本当に最後だと思っていた」

 8月25日に開幕したW杯、日本は1次ラウンド初戦でドイツに63-81と破れたものの、2戦目にフィンランドに98-88の歴史的な勝利を挙げる。3戦目にオーストラリアに89-109と敗れて17-32位決定戦へ回ることになった。順位決定戦はベネズエラ(◯86-77)、カーボベルデ(◯80-71)と連勝。アジア勢唯一の「3勝」を挙げ、堂々とパリ五輪の出場権を手にした。

 有言実行の男は、カーボベルデ戦を終えてこう語っていた。

「もし負けたら僕は本当に最後だと思っていたので、無事にまだ代表活動を続けられてホッとしています。自分は崖っぷちに強い男なので、また崖っぷちの状況を作って、パリでも頑張りたいと思います」

 彼は自ら好んで「崖っぷち」に追い込まれていた。

「公であんなこと言ってしまい引けなかったですし、そのために言いました。自分で逃げ場をなくすという意味です。それで少しでもチームに火がついてくれたなら、言ってよかった。結果オーライかなと思います」

 代表引退はしませんね? そう念押しするメディアの質問に対しては、力強くこう返した。

「死ぬまで代表をやります」

 日本代表は2019年のW杯中国大会で5連敗を喫した。強敵が相手だった1次ラウンドはともかく、2次ラウンドでチームが崩れてしまった。ニュージーランドに81-111と圧倒され、モンテネグロにも65-80と苦杯。当時の渡邊は「恥」という強い言葉で、悔いを語っていた。

「あのときはNBA選手が2人いて、Bリーグも盛り上がっていて、最強の日本代表みたいに言われていた中で、不甲斐ない結果でした。結果どうこうより、戦えなかった。気持ちで全然準備ができてなかった部分に対して、日本代表として恥ずかしいプレーをしてしまった。でもそのときのメンバーも含めて、みんながしんどい思いをしてきたからこその、今回の最高の5試合だったと思います」

「逃げ切れない状況」を味方に

大会期間中にはリスクを冒した発信もしている 【(C)FIBA】

 19日の「進退に関する発言」のあとにも、渡邊は波紋を呼びそうな発信を一つしている。それは25日のドイツ戦で起こった「空席問題」に関するアピールだ。沖縄アリーナのチケットは完売していたにも関わらず、法人向けに販売されていたベンチ正面の特等席がほとんど埋まらず、寂しい姿を晒していた。

 まずトム・ホーバスHCが「満席じゃない。うちのベンチの前に誰もいない。なんで?」と問題提起。渡邊もチームメイトの馬場雄大とともにX(ツイッター)で状況の改善を求める発信をした。

 当然「満員のお客さんに後押ししてほしい」「チケットが試合を見たい人の手に渡って欲しい」という思いはあっただろう。ただこれも「自分を崖っぷちに追い込む」ための仕掛けでもあった。結果としてフィンランド戦からは完全な満席が実現し、アリーナの雰囲気はより日本代表を後押しするモノになった。

「それほど計算してやったわけではないですけど、今までも自分を逃げ切れない状況に追い込んだときに力を発揮してきたので。もしかしたら何か変えられるのではないかという期待で公に言わせてもらいました。ただ言ってしまった手前、正直すごく不安でした」

ドイツ戦で新たな負傷も

 チームのキャプテンは30歳の富樫勇樹だが、渡邊も間違いなくチームを引っ張る存在だった。渡邊はチームとファンをつなぐ「スポークスマン」として振る舞っていた。

 コート上の頼もしさは改めて説明不要かもしれない。本来のスモールフォワード(SF)でなくパワーフォワード(PF)でプレーし、ジョシュ・ホーキンソンとともにビッグマンに対する守備、リバウンドの争奪で奮闘。フィンランド戦は攻撃面こそ不発だったが、NBAのオールスタープレイヤーであるマウリ・マルッカネンのマークという重責を担った。

 8月15日の強化試合・アンゴラ戦で、彼は右足首を捻挫している。17日、19日の試合は欠場し、ドイツ戦はぶっつけ本番だった。この大会で足の状況は実際のところどうだったのか?と問うメディアに対して、彼は「言っちゃっていいですか?」と少し意地悪な笑みを浮かべ、こう説明した。

「まず全く重傷ではなかったです。トレーナー陣も毎日、朝から晩までケアしてくれました。ただドイツ戦は久しぶりの試合で、あのときにちょっとやりすぎました。次の日の練習は(時間帯が)遅かったのですが、歩くだけで(左足の)太ももに激痛があり、すぐ病院にMRIを撮りに行きました。(筋肉に)大きな損傷は見えないので、あとは痛み次第で、明日どうするか決めようということでした。ただ朝もベッドから起き上がるのは痛かったです」

 我々が危惧していた右足首のねんざについては既に問題がなかった。ただしゲームシェイプに戻り切っていない状態のままドイツ戦を戦ったことで、今度は左足太ももに別の症状が出てしまった。渡邊も肉離れを直感し、離脱の覚悟をしていたという。しかし筋肉の腫れはあったものの、幸い筋繊維の損傷はなかった。結果として大事には至らなかったが、とはいえフィンランド戦は痛みを押してのプレーだった。

「フィンランド戦はあとで映像を見たら走り方もすごく変でした。今は痛みが消えているので良かったです」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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