「山形ではずば抜けていた」サッカー少年・神谷優太 やがてプロになり、清水エスパルスで故郷のチームを迎え撃つ
ワイルドな外見とは対照的に
ワイルドな外見とは対照的に 【写真:田中芳樹】
昨シーズン、清水に加入したときの写真と見比べても、容姿はかなり変化したのが分かる。古いアメ車に乗り、洋服も古着をこよなく愛する。そうしたファッションが、より似合う風貌になった。ただ、ヒゲを伸ばすようになったきっかけは単純。「剃るのが面倒くさくて…」。
そんなワイルドな外見とは対照的な面もある。練習場のピッチからクラブハウスの建物まで、少しの階段の上り下りと10mほどのアスファルトの上を歩くためだけにスパイクからサンダルに履き替える。
「あの音といい、石を踏んだような感覚が嫌なんですよね。何よりスパイクがかわいそう」
その独特な感性と繊細さ。サッカーでは、むしろそちらの面が色濃く出ている。
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解説者も唸る技術の高さ。その原点は山形から 【(C)J.LEAGUE】
彼の高い技術に裏打ちされたドリブルやキックは、一瞬で試合を鮮やかにする。それは、努力をして身につけられるようなものでもなさそうに思われる。「天才肌なんですね?」。そんな問いかけを、明確に否定する。「そういうことを言われることもあるんですけど、自分ではそんなことを感じたことはないです。自分は運動神経が高いわけじゃないですし、山形にいた時から頑張ってきたものが今そう言われてるだけなのかなって」
神谷優太は、1997年4月24日に山形県山形市で生まれた。サッカー好きの父の影響で家にはサッカーボールがあり、3歳ごろにはボールを蹴っていたようだ。最初はフットサルチームに入り、ボールを蹴る楽しさを知る。
「一人で黙々とボールを蹴ることが多かったですね。練習というよりも、遊び感覚でした。壁に向かってボールを蹴ったり、ドリブルをしたりして。毎日欠かさずやっていましたね」
そこからの伸びは驚異的だった。
「自分で言うのも何ですけど、上の世代のトレセンとか入ったりしていて、多分ですけど山形ではずば抜けていたと思うんで。そういうところから色々と経験積めたのかなとは思います」
ここで1つの転機があった。バーモントカップというフットサルの大会に出場すると、
「そこでいろんなチームに見てもらって、そこでヴェルディに声をかけてもらいました。すぐにでも行きたかったのですが、なかなか転校できなくて。父親を残して母親と2人で引っ越したのは小学校5年生の途中だったと思います」
憧れだった東京Vのジュニアチームに所属し、ここでようやくプロになりたいという夢を持つことになった。
セットプレーから今季初勝利へ導く
古巣相手に貴重な逆転ゴールを演出。以降セットプレーから得点を量産 【(C)J.LEAGUE】
復活にかける今季、シーズンの始動から全体練習に合流したが、足の状態は完璧とは言えない。
「キレを出すとか、ちょっとずつ難しくなってきている部分もあります。以前はサイドでボール受けて突破できる自信と勢いはあったんですけれど、今はそれもできない。その中でも、1人の選手としてどう価値を出していくか。そんなことを思うと今もしんどいですし、毎日しんどい思いをしながらやっています。でもサッカー選手なんで、何かで見せなければいけない。例えばサイドで1対1だったら難しいかもしれないけど、中央でパッと受けてかわすのはできる。ボランチをやっていたから、細かい部分は自信があるし、そこで違いを見せて試合に関わっていければ良いかなとか。今年は本当に考えながらやってるのかなって感じです」
チームがシーズンの序盤でなかなか勝利ができない中、神谷自身ももがいていた。その状況を変えたのは、彼の1つの武器だった。「前監督時代は、なかなか蹴らせてもらえなかった」というセットプレーだ。
成績不振からゼ リカルド監督が解任され、秋葉忠宏監督がリーグ戦では第8節東京V戦から指揮を執ることになった。その試合に、神谷は1-1の状況で67分から出場。そして90分だった。左CKを獲得すると、そのキッカーを担当する。右足から放たれた高いボールはゴール前でストンと落ち、オ セフンが頭で合わせて逆転に成功。神谷のキックが今季リーグ戦チーム初勝利を呼び込んだ。
「練習で結果出したら蹴らしてもらえるだろうと思ったので、練習中からセットプレーは毎回、1本1本集中していました。練習で良いキックをして味方が外したら苛立つし、そこにかける思いっていうのはすごく大事にしていたと思います」
ジュニアチームから所属していた古巣相手に結果を残し、チーム内でも信頼を勝ち取ると、第10節山口戦では15分にはFKから、65分にはCKからアシストを記録するなど、今季多くの場面で神谷の正確な右足が注目されることになった。