内海哲也は母のため、家族のためにプロへ 巨人への思いを貫いた背景には…
【写真は共同】
6度のリーグ優勝、2度の日本一、09年のWBCでは世界一も経験するなど順調すぎるキャリアを重ねたが、まさかの人的補償で西武へ移籍。失意の中、ある先輩から掛けられた言葉が内海を奮い立たせていた。内海は何を想い、マウンドに挑み続けたのか。今初めて明かされる。内海哲也著『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』から、一部抜粋して公開します。
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家族のため、プロ野球選手になると決意
僕が初めてプロ野球選手になることを現実的に考え始めたのは、高2の夏でした。先輩から「プロに行けるんじゃねえ?」と言われた話は前述しましたが、ほどなくして「プロのスカウトが見に来る」という情報が入ってきました。
ウソやろ……。まさかの知らせに驚くと同時に、プロに行けるかもしれないと考えるようになりました。
最初に見に来てくれたのは、ジャイアンツのスカウトです。僕は子どもの頃からジャイアンツが大好きで、いつか自分もユニフォームを着たいと夢見てきました。テレビをつければジャイアンツ戦が放送されていて、特にエースの斎藤雅樹さんに憧れていました。
祖父の内海五十雄が戦前、ジャイアンツの選手だったという縁もあります。子どもの頃に祖父の家に遊びに行くと、いつもジャイアンツ戦を見ていました。巨人が負けると、不機嫌になっていた記憶が残っています(笑)。
そんな憧れの球団のスカウトが、高校生の自分を最初に見に来てくれたのです。僕の気持ちは一気にジャイアンツに傾きました。
左腕投手として高2の夏から順調に成長し、「ドラフト候補」として注目してもらえる存在になり、高3夏の大会を終えて秋のドラフト会議が近づいてきました。
当初、僕はジャイアンツへの想いを胸の奥に抱きながらも、「どの球団でもプロに行きたいです」と公表しました。自分の気持ちに蓋をしたのは、高2の夏休み中に両親が離婚して母子家庭になっていたからです。
「今日、帰って来なくていいよ」
母親から突然そう言われたのは、ちょうど野球部の活動が休みになり、京都の実家に帰ろうとしていたタイミングでした。当時の敦賀気比では学校がテスト期間に入ったときなどに部活が休みになり、実家に帰省することが時々ありました。それが突然、「帰って来なくていい」と言われたのです。
「え? どういうこと?」と思って、実家に帰ると両親の離婚を知らされました。
「俺、高校をやめて働くわ」
母親にそう伝えました。父親が借金を残していなくなった一方、ふたりの弟の学費が必要になります。母親ひとりでは大変だろうなと、高校生ながらに想像できました。
「あんた、何言ってんの。高校だけは出なさい。お金は私が何とかするから」
「わかった。じゃあ高校だけは卒業して、高校を出たら働くわ」
僕がプロに行けるかもしれないと思い始めたのは、ちょうど両親の離婚が決まった頃でした。それから1年間野球に没頭して、「ドラフト候補」と注目してもらえる存在になったのです。
プロ野球選手になることができれば、高校生にとって信じられないくらいの大金が入ってきます。本心としてはジャイアンツに入りたかったけれど、どの球団でもいいから、まずはプロに入るしかない。
母親のためにも、プロ野球選手になろうと決意しました。
1位指名の名誉と、貫いた夢
やっぱり、ジャイアンツに入りたい。
当時の規定では、大学生と社会人の1、2位は逆指名(2001年から自由獲得枠)で好きな球団と契約することができました。高校卒業後、社会人チームで3年間をすごして逆指名の権利が得られれば、憧れのジャイアンツのユニフォームを着ることができるかもしれない。
そう思い始めた一方、家族の状況もあります。
どうしようか……。
ひとりで悩んでいると、母親に言われました。
「あんたの人生だから、好きにしていいよ。自分は自分の道を行きなさい。家族のことを心配するのは、やめなさい」
母親の言葉を受けて改めて考えた結果、自分の気持ちにウソはつけないという結論に至りました。
やっぱり、大好きなジャイアンツに入りたい。
そんな僕の希望は、ドラフト前に新聞各紙で報じられました。
この年、巨人は1位で阿部慎之助さん、2位で上野裕平さんというふたりの大学生を逆指名で獲得します。僕は3位で指名してもらえればいいと考えていました。
ですが、いざ本番のドラフトでは、オリックスが1位で僕を指名しました。
「最高の評価を受けてうれしく思います」
指名された直後にそう答えたのは本心です。プロ球団から高校生が1位で指名されるのは、この上なく名誉なことです。
でも社会人でプレーすれば、3年後には逆指名の権利を手に入れることができるかもしれません。母親や学校関係者と相談して、ドラフト会議から19日後の12月6日、東京ガスにお世話になることを発表しました。
進路を決めるまでに自問自答したのは、自分の素直な気持ちです。もしオリックスの指名を拒否したら、どんな批判を受けることになるのか。正直、それはまったく想像していませんでした。高校生だった僕は本当にピュアというか、心の中にあったのは「ジャイアンツのユニフォームを着たい」という気持ちだけでした。指名を拒否したらどうなるかとか、他のことはまったく考えていなかったのです。
ドラフト前の面談では、オリックスのスカウトにも「僕が行きたいのはジャイアンツだけです。指名はしないでください」と伝えていました。
2年前の1998年、オリックスから1位指名された選手が入団を拒否し、担当スカウトが責任を感じて自死するという不幸な出来事があったばかりで、当然、僕の頭にもよぎりました。でも、事前に意思を伝えさせてもらった上での指名だったので、自分の希望を優先させてもらうことにしました。
もちろんオリックスに対し、指名していただいたのにお断りして申し訳ないという気持ちは今でもあります。
以上のような経緯で、社会人の東京ガスに進むことに決めました。ジャイアンツのユニフォームを着たい、という子どもの頃からの夢をどうしても実現したかったからです。