内海哲也『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』

内海哲也は母のため、家族のためにプロへ 巨人への思いを貫いた背景には…

内海哲也

東京ガスでの経験と、不安を抱えてのプロ入り

 高校卒業後に2001年から2003年まで東京ガスですごした3年間を振り返ると、長くもなく、短くもなく、ちょうどいいくらいの時間だったと思います。当時の僕は世間知らずだったので、社会人に進んで良かったです。

 高校時代は3学年という世代の中ですごしましたが、社会人チームには10歳上の先輩もいました。高校の部活動では「このメニューをやろう」と上から指示が降りてきますが、社会人ではチームで決められたメニューに加えて、自分で考えて取り組む範囲が広くなります。各自が主体的に時間をつくり、どれだけ練習できるかが求められるようになりました。

 学生から社会人になると、お金の管理も必要になります。手取りで16万円くらいの月給を、どのようにやり繰りしていくのか。高校生から社会人になり、大きく変わったことのひとつです。

 東京ガスですごした3年間は、プロに進む前の〝予行演習〞として考えるとすごくありがたい時間でした。高卒でいきなり年俸1000万円くらいもらっていたら、どうしていいのかわからなくなっていたかもしれません。

 2001年に東京ガスの野球部に入った選手の中には、僕を含めて4人の高卒がいました。そのうちのひとりが片岡保幸(元西武、巨人)です。新入部員の中でピッチャーは僕と片岡茂治のふたりでともにサウスポー。徳村光晴さんという右ピッチャーのエースだった方に、野球や私生活を含めて厳しく指導していただきました。

 ピッチャーとして振り返ると、高校時代からそれほど上積みはできなかったかもしれません。入社した頃には左肩に負傷を抱えていました。

 そうした事情もあって東京ガスでの3年間、社会人ナンバーワンを決める都市対抗野球では1度も登板できませんでした。3年目の2003年にはシダックスに補強選手として呼んでいただきましたが、左肩が痛くて投げられず、監督の野村克也さんから「ジャイアンツに投げるなって言われてるんだろう」とボヤかれたくらいです。本当に痛かったんですけどね(苦笑)。シダックスにはのちにジャイアンツでチームメイトになる野間口貴彦と、左腕の武田勝さん(元北海道日本ハムファイターズ)がいました。

 社会人の3年間では、走り込みと週3回のウエイトトレーニングの成果で体重が13㎏アップしました。下半身が安定し、球速150㎞/hを記録したこともあります。

 ですが、選手としての結果はほとんど残せませんでした。2年目の2002年4月には岡山県倉敷市で行われた全日本代表候補合宿に初参加し、秋には東京ガスで出場した日本選手権で優秀選手賞を獲得。キューバで開催されたインターコンチネンタルカップでは再び日本代表に選出され、世界の強豪と対戦する機会に恵まれました。この大会に日本代表はプロアマ混成チームで臨み、アマチュアからは僕や慶應大学の長田秀一郎さん(元西武、横浜DeNAベイスターズ)、プロからはのちにジャイアンツでチームメイトになる真田裕貴、二岡智宏さんなどがメンバーに入っていました。

 そして社会人3年目の2003年秋にドラフトを迎え、自由獲得枠でジャイアンツに入団します。僕にとって、3年越しの夢がかなった瞬間でした。背番号は祖父の五十雄と同じ26番に決定。仮契約を結んだ際には、「やっと一員になれました。肩さえ治れば、アピールして春季キャンプ地のグアムに連れて行ってもらいたい」とコメントを発表しました。

 プロ野球選手としての目標は、「1回はお立ち台に立ちたい」。自由獲得枠の社会人選手としては控えめに聞こえるかもしれませんが、正直「大丈夫かな……」という気持ちが強くありました。過去を振り返ると、ジャイアンツは自由獲得枠(逆指名)で1997年に高橋由伸さん、1998年に上原浩治さんと二岡さん、1999年に高橋尚成さん、2000年に阿部さんと上野さん、2002年には木佐貫洋さんと久保裕也さんという、アマチュアでトップクラスの選手を立て続けに獲得していたからです。

 対して僕は、東京ガスで大した成績を残したわけではありません。

 悲願のジャイアンツ入りが決まってうれしい気持ち以上に、不安を抱えてプロに進むことになりました。

書籍紹介

【写真提供:KADOKAWA】

巨人、西武の投手として19年の現役生活を終え、2022年に引退した内海哲也。
「自称・普通の投手」を支え続けたのは「球は遅いけど本格派」だという矜持だった。
2003年の入団後、圧倒的努力で巨人のエースに上り詰め、
金田正一、鈴木啓示、山本昌……レジェンド左腕に並ぶ連続最多勝の偉業を達成。
6度のリーグ優勝、2度の日本一、09年のWBCでは世界一も経験するなど順調すぎるキャリアを重ねたが、
まさかの人的補償で西武へ移籍。失意の中、ある先輩から掛けられた言葉が内海を奮い立たせていた。
内海は何を想い、マウンドに挑み続けたのか。今初めて明かされる。

2/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント