センバツVも公式戦登板ほぼゼロ 東邦OB投手が準硬式で「プロ注目」になるまで

尾関雄一朗
 4年前のセンバツ甲子園で日本一に輝いた東邦(愛知)。控え投手だった道﨑亮太は、公式戦での登板がほとんどないまま、中京大の「準硬式」野球部へと進んだ。準硬式は硬式と比べ、スポットライトは当たりづらい。しかし大学4年生となった今、道﨑は「プロ注目投手」と呼ばれるまでにのし上がった。そんな“下剋上右腕”が胸に宿した不完全燃焼の思いと、選手としての礎に迫る。

道﨑亮太(みちざき・りょうた)/投手/176cm・84kg/右投右打/田原市立東部中~東邦高~中京大4年(準硬式) 【写真:尾関雄一朗】

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春季リーグ初戦にNPBスカウト6球団

 4月12日のパロマ瑞穂野球場。バックネット裏には、NPBスカウトの姿が複数あった。彼らの目的は、ある準硬式のピッチャーの視察だった。

 視線の先には、中京大準硬式の道﨑亮太(4年)がいた。前年までに最速147キロをマークし、準硬式界隈で評判になっていた道﨑の情報を彼らは聞きつけていた。春季リーグ初戦にはNPBの6球団が集結したが、そもそも準硬式にスカウトが集まるのは異例。スーツ姿の男たちのかわす「準硬式って金属バットを使うのか」という雑談がそれを示す。

 ネット裏のただならぬ様子は、道﨑本人の目にも映っていた。

「準硬式で結果を残して、さらに上のレベルの野球に挑みたい。そういう気持ちはずっとありましたが、一方で正直、(プロ野球などは)縁がないとも思っていました。自分のピッチングを見てもらえて夢みたいです」

 思いが込み上げる理由がある。高校時代、道﨑の公式戦登板はわずか1イニングのみ。大学では、スポットライトが当たりづらい準硬式で人知れず腕を磨いてきた。

高校では公式戦登板1イニングのみ

 話は2019年春のセンバツ甲子園にさかのぼる。道﨑は2回戦の広陵(広島)戦で、10点リードの9回裏にマウンドに立った。道﨑にとって、これが高校3年間で唯一の公式戦登板だった。

「甲子園で投げられたことは良い思い出ですが、3年間の内容で言えば、投げ足りなかったです。自分としては、やっぱり公式戦でたくさん投げたかったです。ただ、実力や経験が他のピッチャーに及びませんでした」

 チームには石川昂弥(現・中日)がいた。後にドラフト1位でプロ入りする主砲は、投手としても能力を発揮し、全国制覇の中心となった。他にも素質ある投手がおり、道﨑は4~5番手の存在にとどまった。3年夏の愛知大会でも出番がないまま、チームは2回戦で敗れた。

「石川はすごかったですね。普通に、技術が高い。一段階どころか、数段上の存在でした。客観的にみて、自分ではエースの座は狙えないなという思いは心の中にありました。それでも頑張ってベンチ入りはできましたが、夏は一度も投げずに終わってしまい、悔しかったです」

大学の「準硬式」へ

 不完全燃焼の思いを抱きつつ、道﨑は地元・中京大の準硬式野球部に進む。中京大の準硬式は名門だ。東海地区のリーグ戦ではほぼ敵なし。道﨑が入部する2年前には全国制覇を成し遂げている。実は高校や大学の硬式指導者にも中京大準硬式のOBは多い。東邦の森田泰弘監督(当時)や中京大準硬式の中野将監督らに勧められ、「話を聞いて、おもしろそうだなと感じた」(道﨑)とボールを握り替えた。

 一方、準硬式は知名度や規模などで硬式に劣る面は否めない。準硬式の他のチームに目をやると、同好会テイストをいくらか帯びる大学もある。これら自体は悪いことではないが、取り巻く環境や雰囲気は硬式と随分異なる。硬式のプロ野球や社会人野球に進む者はごく稀だ。

「進学の際、中京大の準硬式は全国大会の常連と聞き、『全国で勝つ』という点に魅力を感じました。準硬式だから緩くやるという考え方は好きではありません。やるからにはしっかりと取り組む。そういう意思は入部当初からもち続けています。チームとしても甘い考えはありません」

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著者プロフィール

1984年生まれ、岐阜県出身。名古屋大を卒業後、新聞社記者を経て現在は東海地区の高校、大学、社会人野球をくまなく取材するスポーツライター。年間170試合ほどを球場で観戦・取材し、各種アマチュア野球雑誌や中日新聞ウェブサイトなどで記事を発表している。「隠し玉」的存在のドラフト候補の発掘も得意で、プロ球団スカウトとも交流が深い。

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