4.8有明 自称天才の“サラリーマンボクサー”が世界にリーチ IBF世界フェザー級挑戦者決定戦に挑む阿部麗也

船橋真二郎

世のサラリーマンの背中を押したい

阿部と同門でランキングボクサーの安藤教祐(右)は同じ会社の同期。 【写真:船橋真二郎】

「不思議ですよね。高校で諦めて、もうボクシングはやらねえってなって、こっちに出てきたんで」

 2013年6月に20歳でプロデビューするとき、阿部はまだ「自分がプロでできるのか。そんなに甘くはないだろうと思ってたし、半信半疑だった」という。判定で勝利し、「気分を良くした」のも束の間、翌月の次戦で敗れてしまう。例の『天才ですから』とともに臨んだ試合だったが、この負けがひとつの転機になった。

「まだプロとしては甘ちゃんでしたね。でも、『くそっ』と思って、そこからスイッチが入ったと思います」
 奮起した阿部はハードな練習とともにトーナメントを勝ち抜き、翌年の全日本新人王に輝いた。新人王を獲れなかったら辞める。覚悟を決めて臨んだ。ボクサー人生をつなげ、さらに上へと野心は募った。そして、またサラリーマンの日常に戻っていく。

 朝8時から17時までフルタイムの勤務。残業を終えて、そこからジムに行き、厳しい練習に励む。自宅に帰るのは夜遅くになる。ときに休日出勤も入ってくる日々は「きついこともあった」が、自分の可能性が着実に広がっていく実感に背中を押された。

 会社に考慮してもらえるようになり、今では残業は軽減されているが、基本的には変わらない生活を続ける。「この立ち位置に来たら、ほとんどの人が仕事をしないでやってるし、そのほうがボクシングに集中できて、いいのかもしれないですけど」 妻と2人の息子、家族の生活があるからではない。“サラリーマンボクサー”に自身の存在価値を感じるようになったという。

「自分は会社に勤めながら、やりたいことを見つけて、行動した結果、こうして本気になれて、夢を追っかけられてるわけじゃないですか。仕事をしながらでもできるんだっていうのを自分が見せられたらなと思って」

 始まりは会社の同僚との余暇の楽しみでも「ジムに行ってみようぜ」と一歩、踏み出したことで、かつての自分が諦めたはずの人生を生きている。また会社の同期の安藤教祐(こうすけ)はボクシング未経験から始めて、今や日本ライトフライ級5位のランキングボクサーとなり、自分が想像もしていなかった未来を生きている。5月6日には元世界王者、山中竜也(真正)とのWBOアジアパシフィック・ライトフライ級王座決定戦が決まった。

「ほんとはやりたかったこと。やってみたいなと思ったこと。何でもいいと思うんですよ。実際にやってみて、楽しいなってなったら、何か可能性が広がるかもしれないし、そのまま楽しんでもいいし。自分が世界を獲って、お、あいつ、すげえな、俺もチャレンジしてみよっかなって。世のサラリーマンたちの背中を押せたらいいですね」

俺の左ストレートを食らったら……

阿部の才能を見いだした片渕剛太会長とミット打ちでイメージをふくらませる。 【写真:船橋真二郎】

 初めて赤コーナー側からリングに上がると決まったとき、頭に浮かんだのが『スラムダンク』の赤い髪の主人公・桜木花道だったという。ふとした思いつきから生まれた『天才ですから』のトランクスは、負けてからも履き続けた。

 それからトランクスを新調したときに『天才』とベルトラインに入れ、「いや、天才と言いきるのもな」と思い直して、『?』を付けて『天才?』にした。連勝が続き、勢いに乗ると『天才♪』と変えた。そんな遊び心とともに実力もしっかり証明し、“天才”はボクサー・阿部麗也の代名詞として浸透していった。

 その『天才』が『凡才』に降格したことがあった。初の日本タイトル挑戦で引き分け、さらに次の日本王座決定戦に敗れ、2戦続けてタイトル獲りに失敗した。特に敗れた佐川遼(三迫)戦では課題を露呈した。試合巧者同士、競った展開になったときに戦い方を変え、主体的に状況を打開できなかった。カウンター狙いの待ちのボクシングに陥りがちな悪いクセが出た。

 主体的に展開を組み立てる。自ら圧力をかけてインファイトを仕掛ける。有休を取って2週間、初の海外合宿となるフィリピンでスパーリングを重ねたこともあった。パーソナルトレーナーに付いて、本格的なフィジカル強化に着手した。プラスアルファの戦い方を身に着けるべく本腰を入れた。

 成果を見せたのがタイトル奪取戦だった。上背のある丸田の懐に飛び込み、何度もロープ際に押し込んだ。3戦続けて『凡才』だったベルトラインには『?』のない『天才』が入っていた。

「今がいちばんいいタイミング」。阿部の言葉に実感がこもる。「今の麗也がいちばん強い」とは片渕会長の弁。戦い方の幅が広がった自信に加え、フィジカルトレーニングに踏み込みの意識も相まって、左の威力が格段に増した。

 マルティネスは小柄で典型的なファイターだが、さばく、かわすつもりはない。

「変に足を使って、向こうに追わせる展開になるときつくなるんで。来たところ、来たところにしっかり当てて。入らせる前に止めて、動くイメージですね。何もさせずに削って、削って……」

 最後に桜木花道について。バスケ初心者の自称天才は、それでも折りにふれて天才的な動きを見せて、驚かせる。「何が天才だ、ド素人がって、見られてる中で。え? なんだ、こいつ。あの動きは……。あれがいいっすね」 阿部のお気に入りのイメージ。理想の結末は描けている。

「火が噴きますよ。俺の左ストレートを食らったら。自信あります」

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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