書籍連載:本多雄一「選ばれる人になるための習慣」

本多雄一が新人時代に犯した"サヨナラエラー" その失敗と向き合い一軍定着へ

本多雄一

忘れられない失敗

ルーキー時は打率.245、本塁打も2本記録した 【写真は共同】

 ルーキーイヤーの夏以降、僕は一軍の試合に名を連ねるようになりました。

 故障で失った数カ月のおかげでレベルアップできた時間が、暑い夏の中で動き出します。

 まだまだ、走力と少し逆方向に強く打てるだけの選手。それでも、やれることをやろうと大きな声を出し全力疾走を続けました。

 チームと首脳陣は、僕に期待してくれていましたし、僕はそれに応じようと、一生懸命でした。そんな時期、忘れられない思い出があります。決して、いい思い出ではありませんがそれでも、やっぱり、思い出すのです。
 一軍の試合に出るようになって、1カ月足らずでした。僕はいつものようにセカンドのポジションを守り、少し慣れてきたころです。

 相手はオリックス・バファローズで場所は神戸のスカイマークスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)でした。

 試合は9回まで同点。投げるのはホークスの守護神、馬原孝浩さん。ここを抑えて、延長戦へという場面です。

 ツーアウト、ランナーは満塁。ピンチなのですが、守備側の内野手は捕って、近い塁に送球すればアウトをとりやすい状況です。

 馬原さんが三振をとるか、ゴロを打たせてくれれば、チームは勝ちに近づけます。

 相手打者が打った高く緩い打球が僕の方に飛んできます。

 チェンジだと思いました。

 打球がワンバウンドし、もう一度バウンドした。タイミングは何も悪くない。でも、スリーバウンドした瞬間、打球は不可思議なイレギュラーをしました。

 それでも捕れると思いました。

 しかし、それ以上に打球は変化した。

「えっ!」

 ボールは僕の股の間を抜けていきました。トンネルです。三塁ランナーは、もちろんホームに還る。

 サヨナラ、エラー。

 実は、僕にはそれ以降の記憶がありません。

 ショートのポジションから、ムネさんが来てくれたことは、なんとなく理解していましたが、何を言われて、助け起こされたか覚えていません。

 泣き崩れてしまった気さえします。

 自分のことなのに、想像のような描写になりますが、とにかく、記憶がありません。翌日のスポーツ新聞は、これが一面でした。

「どうして、この一面?」

 写真はムネさんに引き起こされている、泣き崩れた僕だったのです。

 実は記録上、これは僕のエラーではありませんでした。ヒットが掲示されていました。つまり、僕はサヨナラ安打を捕れなかった野手、ということになります。

 でも、そんなものは何のなぐさめにもなりません。僕は捕れずにチームを負けにした二塁手。スポーツ新聞の写真が、見事に情けなさを切り取っていました。

 とんでもなく、恥ずかしかった。

 記録がどうであれ、世の中の人からは、あれくらい捕れよ、と思われるようなプレー。

 当然です。プロなら捕って当然の打球でした。

「なんで、こんな不幸が自分に降りかかってくる?」

 生まれてはじめて、人前に出たくありませんでした。

「イレギュラーしたのだから、仕方ない」

「1年目の選手なんだから、仕方ない」そんななぐさめの言葉もありました。

 でも、ボールは僕の股の下を抜けていき、手が届くところなのに僕は逸らした。

「本多は下手だと思われるだろうな」

グラウンドにまた立つのが怖くなります。

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著者プロフィール

福岡ソフトバンクホークス⼆軍内野守備⾛塁コーチ。福岡県大野城市出身。鹿児島実業-三菱重工名古屋。 2005年より福岡ソフトバンクの黄金時代を支えたリードオフマン。 多くのファンに惜しまれながら2018年に現役を引退し、2019年より一軍内野守備走塁コーチ、現在は⼆軍内野守備⾛塁コーチを務める。 2012年より嬉野観光大使としても活躍している。 現役時代の主なタイトル ・盗塁王2回 ・ベストナイン1回 ・ゴールデングラブ賞2回

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