希望を届ける星となる表現者・羽生結弦の決意表明 震災から12年を経て、宮城で開催した「notte stellata」

沢田聡子

セキスイハイムスーパーアリーナで滑る羽生の強い覚悟

震災の日に見た星空から得た希望を表現した羽生 【Ⓒnotte stellata】

「羽生結弦notte stellata」が開催されたセキスイハイムスーパーアリーナは、3月11日の公演時に羽生自身が語った通り、12年前となる2011年3月11日に起こった東日本大震災の際は遺体安置所となった施設だ。

 そして2012年11月、セキスイハイムスーパーアリーナではNHK杯が開催され、羽生が優勝を果たしている。当時17歳の羽生はショートで自らが保持していた世界最高得点を更新、フリーでは終盤にミスが続くも持ちこたえて優勝し、復興のシンボルとなる重い役割を見事に全うした。

 そしてプロとしては初めて地元・宮城県で行うアイスショーの会場としてセキスイハイムスーパーアリーナを選んだ28歳の羽生が、葛藤した末に極めて強い覚悟を持って公演に臨んだことは想像に難くない。

 初日となる10日の公演後、取材に応じた羽生は「すごく緊張しながら、皆さんの前で滑っています」と吐露している。

「3月11日という日に、毎年あれから、毎年気持ちを込めながら、祈りの気持ちを込めながら、感謝の気持ちも込めながら、悲しい気持ちも込めながら、人知れず滑ってはきていました。ただ、こうやって皆さんの前で、この感情と共に、3月11日に演技をするということ、そしてそういう企画の中で演技をするということが初めてなので、正直すごく緊張はします。

 ですが、この『notte stellata』というショーだからこそ伝えられる気持ちだったり、また、このショーだからこそ見えるプログラムの新しい一面だったり、気持ちだったり、テーマだったり、そういったものもまた感じていただければと思っています」

 このアイスショーのタイトル「notte stellata」は、震災の夜に避難所へ向かう羽生が、停電で暗くなった空に輝く星を見て“希望の光”を感じたことにちなんでいるという。冒頭で羽生が滑ったプログラムは、ショー全体のタイトルにもなっている「notte stellata」である。

「やはり今回、一つ大きな“希望”というテーマがあって。スクリーンに3.11の頃の星空を出していただいていて。最後は普通だったら反対方向に行くのですが、そちら(スクリーンの星空)の方向に向かって、その星空と共に『星空から得てきた希望と共に今まで滑ってきたんだ』みたいなことを感じながら、滑らせていただいていました」

 そして、最後のソロナンバーとして滑ったのは『春よ、来い』だった。

 「『春よ、来い』を選んだ理由も、やっぱり希望というものが大きな趣旨です」と説明した羽生は、演じている時の心情についても語っている。

「直接的に震災のことを考えたりとか、『震災に遭われた方々の希望というものはなんだろう』とか、そういったものをいろいろイメージしながら。で、『僕自身がそれ(希望)になれるのだろうか』ということもまた考えながら、滑らせていただいていました」

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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