連載:大阪桐蔭“最強世代” 青地斗舞・独占インタビュー「野球人生に区切りをつけた理由」

大阪桐蔭・最強世代、青地斗舞が現役引退 野球人生と変わらず「1番を目指して」新たな世界へ

沢井史
 大阪桐蔭史上「最強」と言われる世代の1人で、2018年に根尾昂(現・中日)、藤原恭大(現・ロッテ)らとともに甲子園で春夏連覇を果たした青地斗舞が、選手生活を終える決断をした。同志社大学ではキャプテンも務めたが、大学卒業後は東京に本社を構える大手総合商社に就職し、全く異なるフィールドにチャレンジする。「これから高校、大学の時以上の経験をしていきたいです」。新しい目標に向かって、すでに彼は歩み出している。

大学卒業を前に、引退を決めた理由、今後の目標などを語ってくれた青地。インタビューの模様はスポーツナビの公式YouTubeチャンネルで配信中だ 【YOJI-GEN】

「野球を辞めて、新たな世界に挑戦しようと思っているんです」

 同志社大学・硬式野球部の主将を務めた青地斗舞が、こう明かしてくれたのは2022年5月。春のリーグ戦後に進路の話になった時のことだ。

 青地といえば、18年に大阪桐蔭史上二度目の甲子園・春夏連覇を達成したメンバーの1人で、飛びきりの“青地スマイル”を記憶している者も多いだろう。高校入学前から、中学野球界で名をはせていた選手が多く入学することを伝え聞きつつも、野球で一流になる強い覚悟をにじませて大阪桐蔭の門をくぐった。だが、「1年生の時は具体的な目標はなくて、ただがむしゃらにやるだけでした。でも体重が減って、精神的にも追い詰められていっていましたね」と当時を振り返る。
 そんななか、大きな存在となったのが西谷浩一監督だった。西谷監督は選手の心を動かす“言葉力”が、とにかく巧みだ。高校3年間の指導のなかで、青地が印象に残っている西谷監督の言葉が2つあるという。

「辛かった1年生の秋、練習試合でずっと1番で使ってもらっていたんですけれど、全然打てなくて。肩も痛いし体重が落ちているし、マイナスな気持ちを野球ノートに書いたら、『頑張っていることは認める。そのなかでもこの冬の経験を活かして春どういうふうに練習すればいいのかを感じてほしいから、(調子が悪くても)使っているんやぞ』と、書いてくださって。今は結果が出なくても、目標を持って野球をすることが大事なんだと気づきました」

 2つ目は3年夏の大会が終わった直後。通常なら地元に帰省する選手がほとんどだが、青地は大学進学に必要な小論文の勉強のために学校に残っていた。その時、「学校内で西谷先生とすれ違った際に『青地をスカウトして良かった』って言っていただきました。3年間、頑張りきって良かったと思いました」と、誇らしい記憶を話してくれた。

 西谷監督は、とにかく選手との対話を大事にする。大学でキャプテンを務めた青地も、そういった恩師の姿勢を意識し、とにかくコミュニケーションを大事にしてきた。

「西谷監督は大監督だから持論もあると思うのに、相手が的外れなことを言っても決して否定はしませんでした。まず、相手の話を最後まで聞いて、肯定をしながらいろんなアドバイスを送っていただきました。そういうところも心から尊敬していました」

大学入学後は「背伸び」をしようとして…

同志社大入学後は思うようにいかないことが多かった。それでも3年秋のリーグ戦で首位打者に輝き、4年時にはキャプテンを務めた 【YOJI-GEN】

 高校で偉業を成し遂げたメンバーだったからこそ、大学での期待値は高かった。高校入学時もハイレベルな周囲を見てのゼロからのスタートだったが、同志社大では高校での実績を踏まえてのスタートとなり、周囲からの視線はとにかく熱く、羨望のまなざしも向けられてきた。それでも、とにかくがむしゃらさを前面に出しながら1年春のリーグ戦でのベンチ入りスタートを目標としてきたが、期待値のさらに上を行きたいと背伸びをしようとする自分に気づいた。

「今まで見せられていなかった自分をもっと出したくて、飛距離を上げようとパワーアップばかり意識していました。そうしたら、夏に左膝を痛めてしまって……。秋のシーズンは終盤に2試合ほどスタメン出場はできましたが、結果は出ず。あの頃は心のどこかに過信があったように思います」

 高校時代も1年時はもがき苦しんだ。だが、大学では技術以上にメンタルのコントロールが難しかった。故に、幾度となく壁にぶつかった。

「大学生活の4年間はずっと駄目でした(苦笑)。身体は大きくなっていったけれど、持っているもの以上の実力は出なかったです。1年の冬に膝を手術して、トレーニングをしていなかったので一時期体力が落ちたこともあったんですけれど、心のどこかで“何とかやれるやろう”みたいな慢心はありましたね。でも、現実は甘くなかったです。

 3年生になって監督が(現在の花野巧監督に)代わって、今までの取り組み方では駄目だときっぱり言っていただいたんです。3年春は試合に出る機会は減りましたけれど、高くなっていた鼻を折ってもらったというか、自分の愚かさにも気づかされました。そう言っていただいたことは本当に良かったです」

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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