連載:元WBC戦士は語る―侍ジャパン優勝への提言―

WBC最多出場の内川聖一が流した嬉し涙と悔し涙 3度の大舞台から見えた景色の違い

小西亮(Full-Count)

内川聖一が出場したWBC3大会は、それぞれ違う立場での参加となった。それぞれどんな景色が見えたのだろうか? 【写真:YUTAKA/アフロスポーツ】

 乾いた打球音の直後、地響きのような歓声に包まれる。鮮やかにセンター前へはじき返された打球を見ながら、決勝のホームを夢中で踏み締めた。2009年、野球世界一を決める「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝・韓国戦。あまりにも有名なイチロー外野手の決勝打を、内川聖一外野手は三塁走者として目撃し、大興奮のベンチに迎えられた。

「野球選手として、一番素晴らしい景色を見せてもらいました」。当時チームの野手では最年少組のひとりとして、世界一に酔いしれた。生きのいい26歳の若手は、それから球界を代表する安打製造機に。34歳まで日本人最多タイとなる計3度、WBCの舞台を経験した。脳裏に焼き付いた記憶は、決して歓喜ばかりではない。一瞬にして暗転した絶望の瞬間も、今でも生々しくおぼえている。

3塁ベースから見たイチローの凄み

イチローのタイムリーで決勝点のホームを踏んだ内川聖一。3塁ベースからイチローをどのように見ていたのだろうか? 【写真:アフロスポーツ】

 2006年の第1回大会を制した王者として、連覇をかけて臨んだ2009年。その前年に首位打者と最多安打、最高出塁率のタイトルを獲得して一気にブレークした内川も、侍ジャパンの一員として名を連ねていた。

 率いる原辰徳監督から「左投手を打つために入れているんだ」との命を受け、背負った日の丸。デビューは第1ラウンド2回戦の韓国戦だった。試合前日に伊東勤総合コーチから「緊張させてやるわ。明日スタートだ」と“事前告知”。「うわ、そうだよなとは思いました」と高まった緊張感は、自らのバットですぐ取っ払った。

 初回いきなり3連打で先制するも、すぐ2死となって迎えた第1打席。韓国の先発左腕・金廣鉉(キム・グァンヒョン)のスライダーを左翼線にはじき返した。2点タイムリーで、宿敵の出端をくじく。「1打席目に打てたことで、代表チームにおける自分の立ち位置を確立できたと思います。よし、これは左ピッチャーがきたら俺の出番だといい意味で割り切れました」。波に乗り、大会通算6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打、4打点をマークした。

 死闘となった韓国との決勝は、極限状態の中にいた。5回に1-1の同点に追いつかれた直後、長打になるライナーがレフト線に飛んだ。全速力で追った左翼の内川は、滑り込みながらショートバウンドした打球を逆シングルで捕球。すぐさま内野に返球し、二塁を狙った打者をタッチアウトにして見せた。

「今考えると怖いプレーだなと。あれを後ろにやっていたらって…。ただ、あの時は失敗する怖さとかそんなことを考えずに夢中でやった結果。計算してやってないんですよね」

 決断を遅らせる無駄な情報が入る隙もないほど、試合に没入していた。そして迎えた延長10回。先頭打者として右前打を放ち、犠打と単打で三塁に進んでいた。打席のイチローは3球で追い込まれながら、高めも低めもバットに当てて粘る。その1球、1球を、内川はいまだに鮮明に思い出す。「そこまで当たるんだ、そこもファウルになるんだ、すげえなと鳥肌が立った記憶があります」。韓国の守護神・林昌勇(イム・チャンヨン)が投じた8球目が、中前へ飛んだ。

「イチローさんが打ってくれて、ホームにガッツポーズしながら還ってきて。一塁走者の岩村(明憲)さんも還ってきて、ものすごい勢いでハイタッチをしました。ベンチに戻って大興奮。テンションMAXの状態で、岩村さんに思わず『やったぜ、岩ちゃん!』と言っちゃって。『誰が岩ちゃんや!』と、はたかれたのをおぼえています(笑)。それくらい極限でした」

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著者プロフィール

1984年、福岡県出身。法大卒業後、中日新聞・中日スポーツでは、主に中日ドラゴンズやアマチュア野球などを担当。その後、LINE NEWSで編集者を務め、独自記事も制作。現在はFull-Count編集部に所属。同メディアはMLBやNPBから侍ジャパン、アマ野球、少年野球、女子野球まで幅広く野球の魅力を伝える野球専門のニュース&コラムサイト

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