連載:元WBC戦士は語る―侍ジャパン優勝への提言―

WBC最多出場の内川聖一が流した嬉し涙と悔し涙 3度の大舞台から見えた景色の違い

小西亮(Full-Count)

3連覇がかかった第3回大会で知った野球の怖さ

2013年の苦い思い出も、笑顔で振り返ってくれた内川聖一 【写真提供:ポリバレント株式会社】

 13年経っても色あせない激闘の記録。内川にとっては「野球の一番いいところ」を見た。「当時は打って活躍したら目立つという思いが勝っていました。でも、今もう一回あの舞台でやれと言われると、ちょっと遠慮したくなる。あの緊張感に耐えられないと思います」。怖さを知ったのは、4年後。2013年に「野球の一番苦しいところ」を見た。

 試合後、あふれる涙を止められない。3連覇が義務付けられた第3回大会の準決勝・プエルトリコ戦。1-3と2点差に追い上げ、なおも8回1死一、二塁のチャンスで、内川は一塁走者として盗塁の機会をうかがっていた。2球目、二塁走者の井端弘和内野手がスタートのしぐさを見せたと思い、一目散に二塁へ。しかし井端は急停止して帰塁。行き場をなくして一、二塁間で立ち尽くし、反撃の火を消した。

 深夜に宿舎に戻り、やけに冴えた目で映像を見返した。「見るしかないと思って。今見て、自分がどういう心境なのか、自分の心に刻まなければいけないという思いでした。それも含めて経験だと」

 世界一は潰え、意気消沈の列島からはさまざまな声が聞こえてきた。「いろいろ議論されるのは、それだけ注目された証し。悪いことだったというのは僕が一番わかっている。ただ、テレビなどで議論されているのを見かけた時は、正直目を背けたくなりました。野球から離れたいと思った瞬間もありました」

失意の帰国も…秋山監督から「明日から出ろ」

WBCでの悔しさを乗り越え、2013年は納得の成績を残した内川聖一(右) 【写真は共同】

 重たい気持ちを抱えたまま帰国し、その足で所属していたソフトバンクに報告へ向かった。後ろ向きな気持ちを見透かされたように、秋山幸二監督から「明日から出ろ。終わったことなんだし、悔やんでも帰ってこないんだ」と言葉をかけてもらった。

 悩む寸暇すら与えてもらえず、シーズンへ。「あとから考えると、自分自身がどう野球に取り組むのかを試されていた感じがするんですよね」。終わってみれば全144試合に出場し、キャリア最多の19本塁打を放った。「あそこですぐに試合で使ってもらえてよかった」。22年間のNPBでのキャリアを今振り返り、元指揮官に感謝する。

 34歳で臨んだ2017年の第4回大会は、代打の切り札としての役目を担った。2次ラウンドのキューバ戦では、同点の8回に決勝の犠牲フライ。ここまで打率5割と当たりまくっていた小林誠司捕手に代わって打席に入り「絶対に仕事をしないといけない」。東京ドームがどよめきと大歓声に包まれる中、右翼に打球を飛ばしてみせた。

 若手、主力、ベテランと立場を変えながら見てきたWBCの景色。どの場面でも「内川ならやってくれる」との思いに、バットで応えてきた。周囲は経験値の大きさに目を向ける。「期待してもらえるのはありがたいこと。でも、みなさんよく“経験があるから”と言ってくれますが、大舞台を経験している分、怖さも知っている。いい経験ばかりじゃないんだよなぁ、というのは心の中でうっすら思っていました」。酸いも甘いも噛み分けてきたからこそ、笑って話せる。

 純粋に野球と勝利だけにのめり込む。その先に、今でも多くのファンの記憶に刻まれるプレーの数々が生まれた。「そういう境地にまた立ちたいなと、ずっと思っています」。出場した3大会を振り返り、内川は今の侍戦士たちを羨むように微笑む。一投一打に、息をのむ瞬間。特別な戦いが、6年ぶりにやってくる。

(企画構成:スリーライト)

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著者プロフィール

1984年、福岡県出身。法大卒業後、中日新聞・中日スポーツでは、主に中日ドラゴンズやアマチュア野球などを担当。その後、LINE NEWSで編集者を務め、独自記事も制作。現在はFull-Count編集部に所属。同メディアはMLBやNPBから侍ジャパン、アマ野球、少年野球、女子野球まで幅広く野球の魅力を伝える野球専門のニュース&コラムサイト

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