F1 2022年シーズン日本GP特集

F1日本GPのベストレースは? 記憶と歴史に残る鈴鹿「ボルテージが上がった瞬間」ランキング

柴田久仁夫(auto sport)
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1988年、F1参戦2年目となる中嶋はマシントラブルに泣かされることが多く、開幕戦以降、入賞から遠ざかっていた。そんな状況下にあって母国・日本GPの予選で自己最高位タイとなる6番グリッドを獲得し、観客の期待は最高潮に。 【Pascal Rondeau/Allsport】

「神の作りしコース」とまで讃えるドライバーがいる鈴鹿サーキット。それだけに数多くの名勝負が繰り広げられてきた。しびれるような好バトルもあれば、ヒリヒリするような年もあったわけだが、そんな歴代・鈴鹿F1で『ボルテージが上がった瞬間』を柴田久仁夫氏がランキング形式で振り返る。

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第10位:1988年「セナと中嶋のエンジンストール」

 個人的な思い出で恐縮だが、この日本GPが僕の初スズカだった。当時のF1人気はすさまじく、鈴鹿周辺の宿はどこも満室。同僚たち7、8人とラブホに雑魚寝した。アイルトン・セナがPP、中嶋悟が自己最高位の6番グリッドにつけて、決勝当日はいっそう盛り上がった。ところがそろってスタートに失敗し、13、21番手に大きく後退。超満員のグランドスタンドには、悲鳴とため息が渦巻いた。だがセミウエット路面がセナと中嶋を生き返らせた。セナは首位プロストを追撃し、28周目に抜き去って、初タイトルを獲得。中嶋も7位完走を果たした。「スプーンカーブに神を見た」というレース後のセナの言葉は、あまりに有名だ。

第9位:2015年「“GP2エンジン!”」

 残念ながらネガティブな意味で、ボルテージの上がった瞬間だ。この年の決勝レースで、フェルナンド・アロンソが無線で言い放ったこの言葉。『アンチ・アロンソ』派と『アンチ・ホンダ』派の間で、「本当に悪いのは誰だ?」と、論争が巻き起こったりもした。確かに当時のホンダ製PUの、とくにエネルギー回生システムは大きく劣っていた。そのため鈴鹿の長いストレートで、すぐに電気エネルギー切れを起こした。スロットル全開状態で抜かれるほど、ドライバーを苛立たせることはない。なのでアロンソの怒りも、充分理解できる。しかしこれ以降、マクラーレンは成績不振の責任をいっそうホンダに押しかぶせていくことになり、その発端となった発言でもあった。

第8位:2014年「ビアンキの遺したもの」

 ほぼ10月開催だった日本GPは、過去に何度も台風や豪雨に見舞われてきた。2014年も台風18号の接近で、決勝当日は朝から大雨。セーフティカー先導で始まったレースも、断続的に強い雨が降った。43周目、ザウバーの(エイドリアン)スーティルがダンロップ出口でコースオフ。マシンを吊り上げていた重機にマルシャのジュール・ビアンキが激突した。脳に甚大なダメージを負ったビアンキは、意識が戻らないまま翌年7月17日、南仏ニースの病院で死去した。享年25。この事故をきっかけにVSC(バーチャル・セーフティカー)が導入され、さらに頭部を保護するハローの実用化にもつながった。
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