連載:プロ野球ドラフト史「全12球団“ヒット指名”ランキング」

会心のドラフト指名・阪神編 タレント性抜群の新庄を超えるのは──

楊枝秀基
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今や“BIGBOSS”として、虎党でなくとも知らない人はいない新庄(右)。投手中心を予定していた89年ドラフトで、5位までこの逸材が残っていたのは幸運だった 【写真は共同】

 各球団がこれまでにドラフト指名した選手の中で、一番の“ヒット”だったと言えるのは誰か。無名の選手や他球団の評価が低い選手の才能を見抜き、のちにチームに大きく貢献することになる金の卵を手に入れた「成功例」を識者に挙げてもらい、順位づけもお願いした。阪神編のトップ3には、現役引退後も全国区の知名度を誇るタレントが並んだ。

10位:川藤幸三(67年ドラフト9位/投手/若狭高)

 一度もレギュラーを獲得することなく、ここまでの人気を博した猛虎はこの人物以外に存在しない。「なにわの春團治」の異名を持ち、現役時代は代打の切り札として鳴らした川藤だが、若狭高(福井)では投手兼内野手。甲子園にも出場したが、ドラフトでは9位の下位指名だった。入団当初は遊撃手で、1年目から一軍で本塁打を記録。ウエスタン・リーグでは盗塁王にも輝くなど、かつては俊足でもあった。

 2年目から外野手に転向。プロとしては決して体格に恵まれていなかったが、大量の食事で身体を作り、その独特の感性と底なしの根性で球界を生き抜いた。プロ通算211安打で、「イチローの1年分じゃ」という名言も残している。

9位:長崎慶一(68年ドラフト8位/外野手/北陽高→入団拒否)

 地元大阪の北陽高出身で、66年には1年生ながら外野手として夏の甲子園にも出場。68年ドラフトではファンだった阪神から8位指名を受けたものの、家族の反対もあって法政大へ進学した。その後、東京六大学で2度の首位打者を獲得し、72年ドラフトで大洋(現DeNA)に1位指名を受けて入団。82年には首位打者にも輝いた。

 阪神からのドラフト指名を拒否したにもかかわらず、あえて今回のランキングに入れたのは、ずいぶんと遠回りはしたが、85年に池内豊との交換トレードで、およそ20年越しの想いを遂げて獲得に至ったからだ。同年には控えながら21年ぶりのセ・リーグ制覇に貢献。なにより、西武との日本シリーズ第6戦で放った、球団史上初の日本一を決定付ける満塁本塁打が印象深い。
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著者プロフィール

1973年生まれ、神戸市出身。関西学院大から98年に『デイリースポーツ』入社。巨人、西武、ヤクルトなどを担当した後、2004年は合併消滅した近鉄、05〜10年は阪神、11年はオリックス番記者を務めた。13年からフリー。東京スポーツコラム「ワッショイ!!スポーツ見聞録」を不定期連載中。

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