連載:プロ野球ドラフト史「全12球団“ヒット指名”ランキング」

会心のドラフト指名・巨人編 球団の歴史を変えた坂本の“外れ1位”指名

吉村大佑
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06年の高校生ドラフトで、田中将大と並ぶ注目選手だった大型遊撃手・堂上直倫の交渉権を得られなかった巨人が指名。坂本は同じ1位指名でも、松井や阿部のようなドラフトの目玉と言える選手ではなかった 【写真は共同】

 各球団がこれまでにドラフト指名した選手の中で、一番の“ヒット”だったと言えるのは誰か。無名の選手や他球団の評価が低い選手の才能を見抜き、のちにチームに大きく貢献することになる金の卵を手に入れた「成功例」を識者に挙げてもらい、順位づけもお願いした。今回は巨人編。果たしてどの選手の指名がトップ10に入り、そして1位に選ばれたのは?
 巨人はドラフト1位で堀内恒夫や原辰徳、松井秀喜、阿部慎之助など、のちに球界を代表する選手となる逸材を獲得。一方でドラフト外でプロ入りした西本聖のように、入団当時は注目されなかった選手の中にも長くチームを支えた者がいる。育成指名から這い上がった山口鉄也と松本哲也が2008、09年と連続で新人王に輝き、「育成の巨人」とも評された。

 スカウトの“眼”が数多くのスターを誕生させた。

10位:松本匡史(76年ドラフト5位/内野手/早稲田大)

 通算57盗塁をマークした早大時代、左肩の脱臼に悩まされた。実に7度も脱臼。あまりに怪我が多く、大学3年時の75年に本名の「哲(さとし)」から「匡史(ただし)」に改名したほどだ。

 脱臼の多さなどを理由に社会人野球に進む予定だったが、76年のドラフト会議で巨人に5位で指名され、入団。82年に外野のレギュラーに定着。80年代に巨人のリードオフマンとして2度の盗塁王に輝き、トレードマークの青色の手袋から“青い稲妻”の異名を取った。83年にマークした76盗塁は現在もセ・リーグ記録、通算342盗塁は球団史上2位だ。33歳で引退したが、一時代を築いた。

9位:村田真一(81年ドラフト5位/捕手/滝川高)

 兵庫・滝川高では甲子園大会出場の経験はなく、全国的には無名だった。81年のドラフト会議で巨人から5位で指名されて入団。同期に槙原寛己(1位指名)、吉村禎章(3位指名)がいた。勝負強い打撃と投手に寄り添ったリードに定評があり、90年に正捕手の座をつかむ。チームのリーグ連覇に貢献し、ベストナインを受賞した。

 大久保博元、村田善則らと併用されることが多かったが、90年から2000年の間に4度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献。00年の日本シリーズでは優秀選手に選出された。シーズン二桁本塁打を4度記録しながら規定打席到達はゼロ。試合に敗れても投手を責める発言をせず、チームメートに信頼されていた。
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著者プロフィール

1981年生まれ、茨城県出身。『サンケイスポーツ』で日本ハム、巨人、ヤクルトの担当記者を歴任し、2009年に日本ハム、15年にヤクルトのリーグ優勝を取材。19年からデスクを務める。

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