[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第5話 ノイマン新監督の就任会見
これを記念して、4年前にスポーツナビアプリ限定で配信された前作をWEB版でも全話公開いたします(毎日1話ずつ公開予定)。
木崎f伸也、初のフィクション小説。
イラストは人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のツジトモが描き下ろし。
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【(C)ツジトモ】
ユベンテスの練習場は、「ビレッジ」と呼ばれる広大な敷地の中にある。2020年に完成してから約10年が経った。スタジアム、クラブ事務所、クラブハウスが集まっており、そして選手専用の食堂もある。
イタリア人はファミリー感を大切にするのだろう。ペンションの食堂のような温かみのある雰囲気で、一体感を生むために丸テーブルが狭い空間にぎゅっと並べてある。
温かい食べ物を提供するために、サラダのみセルフサービスで、あとはすべて注文を受けてからシェフが調理する。壁の黒板にメニューが書かれており、パスタとメーン料理は、常に各2種類ずつ用意されていた。
丈一が丸いテーブルの席に着くと、白いシャツにエプロンをつけた給仕係のデニーがすぐに駆けつけた。
「ボンジョルノ、ジョー。今日は珍しく深刻そうな顔をしていますね。彼女と別れたんですか?」
「彼女はいないといっただろ。デニーが紹介してくれ」
黒板に目をやると、今日のパスタは「アラビアータ、もしくはジェノベーゼ」、メーンは「鶏胸肉のグリル、もしくはヒラメのムニエル」、デザートは「アイス、もしくはティラミス」と書かれている。
「パスタはアラビアータ。メーンは鶏肉にしようかな。両方とも一緒に運んできて。ドルチェはなしで」
通常イタリアでは、パスタを前菜として先に食べる。ただ、この日は時間がなかったため、丈一は一緒に出すようにお願いした。あとから来たチームメートに「一緒に座る?」と誘われたが、「用事があってすぐに出るから」と断り、急いで食事を済ませた。
そろそろ会見が始まるころだ――。丈一はミネラルウォーターが入ったペットボトルを手に取り、食堂の隣にあるラウンジに移動してパソコンを開いた。日本時間19時(イタリア時間正午)、日本サッカー連盟で、日本代表のフランク・ノイマン新監督の会見が行われる。
メーメット・オラル監督が事故に遭ってから、約1カ月が経った。入院中のオラルの提案を受け、連盟はチャンピオンリーグ準優勝監督であるノイマンを臨時監督として迎え入れることを承諾。オラルが奇跡的な回復をみせてW杯に間に合った場合を考慮して、発表のリリースでは“臨時”という肩書きがつけられた。ただしそれは建前で、復帰が難しいことは誰もが分かっていた。
丈一は会見のスタートを待ちながら、オラルとの時間を思い返していた。オラルが2027年夏に日本代表監督に就任すると、「ビッグクラブでの経験をチームに落とし込んでくれ」と言われ、丈一はキャプテンに指名された。
丈一が日本を出て、初めてプレーしたクラブはトルコの名門ガラテサライだった。一方、オラルはトルコ系ドイツ人で、ガラテサライの宿敵であるフェネルバフテのOBだ。トルコという共通点も2人の距離を縮めた。
しかし、2人とも主張を譲らないタイプのため、たびたび衝突が起こった。たとえばオラルの選手への接し方だ。
オラルはダメ出しをすることで感情を揺さぶり、成長のきっかけをつくるモチベータータイプの監督だ。だが、そのエネルギーがすさまじく、どうしても若手は萎縮してしまう。
丈一はオラルに提案した。
「選手は駒ではなく、感情を持っています。能力を否定するだけでなく、ときには肯定することも大事なのではないでしょうか」
それを聞いてオラルは爆発した。
「私は否定などしていない! それに肯定とはどういう意味だ? 選手に媚(こび)を売れというのか?」
「まさにその態度こそが、肯定ではなく、否定なんですよ。もっと聞く姿勢を示した方が、日本人選手はついてくると思います」
そして何より問題だったのは、オラルの戦術は粗く、穴が多いことだった。途中から守備では極端なマンツーマンを求め、組織が間延びして中盤がスカスカになった。攻撃では「縦に蹴れ」としか言わなくなり、それをやらない選手は先発から外された。日本代表史上、これほど無策だった監督はいないだろう。選手たちは「この戦術では勝てない」と爆発寸前だった。
オラルのもとで、ずっと悩んでいたことが丈一にはある。本来、主将タイプではないにもかかわらず、日本代表でキャプテンを任されている、というミスマッチだ。
丈一はユース年代でも、プロになってからも、点取り屋として自由に振舞ってきた。キャプテンマークを巻いたことは1度もなかった。ところがオラルは、そんな自分をキャプテンに指名してくれた。
最初は嬉しかった。その期待に応えようと、常にチームにとっての利益を考え、ときに個人の利益とバッティングしてもチームを優先した。
オラルと言い合いになって顔も見たくなくなったときには、キャプテンを辞退しようと考えたこともあった。それでも自分が放り投げたらチームが空中分解すると思い、踏みとどまってきた。
だが、もうオラルともめることも、選手との板挟みになることもない。不謹慎とは分かっていたが、解放感を覚えている自分がいた。