「元競輪選手が育てたバドミントン日本代表」 西本拳太が4度目の世界選手権へ
選手としては遅咲きの西本拳太。8月22日に開幕する世界選手権でどんなプレーを見せるのか注目だ 【Getty Images】
この数年、西本は思い切った歩みを見せている。2020年の春、国内屈指の強豪であるトナミ運輸を退社し、約2年はフリーランスで活動(所属は岐阜県協会)。今春からは、強豪に挑む立場にある実業団のジェイテクトに加入。新たな環境に身を置いた。西本は進路の選び方について、次のように話した。
「みんなと同じことをしていたら、生き残れない。僕は、そう思います。最近、活動拠点を転々としていますけど、自分の責任で決断しています。競技の世界で生き残っていくための土台を、小・中学生時代に、作ってもらいました。独特な環境で学んできたことが、何かしらの力になっていると、今も思っています」
同じ体育館で社会人を教えていた「お師匠はん」との出会い
今でも里帰りの度にコンタクトを取り、時にはトレーニングを依頼しているアスレティックトレーナーの山本さんとの出会いを、西本は「小学5年生の時、同じ体育館を使っていて、片づけずに帰ろうとしたら怒られたのが最初」と振り返った。このとき、山本さんは社会人選手の飯田有紀(現在の姓は、吉村)さんの指導にあたっていた。
山本さんは、競技キャリアの終盤、先輩の勧めで整体に関心を持ち、古武術なども含めて幅広く身体の構造、仕組みを学び始めた。1990年に宇都宮で開催された自転車ロードレースの世界選手権に出場する日本代表選手のマッサージを担当。世界選手権を10連覇した「ミスター競輪」中野浩一さんらのトップアスリートと交流を持ち、学びを深められたことは、後々まで生きる貴重な経験になったという。91年に現役を引退してトレーナーに転身。故郷の伊勢市に戻ってからも、競技者の身体のメンテナンスを仕事にしていた。しかし、動き方そのものを直さなければ負傷を繰り返すため、トレーニングも見る必要があると考えるようになった。また「ジュニア世代の選手を指導し、動き方の改善を提案したり、トレーニングやケアの方法を教えたりすることで、世界で活躍する選手を育てたい」という目標も持つようになり、身体操作そのものが技術に直結する陸上競技の指導を開始した。
その後も競技を問わず、トレーナーとして選手に接していたところ、肋軟骨を負傷した飯田さんが診てほしいと依頼してきたのが、バドミントンとの初めての接点だった。どんな動きをする競技なのか知る必要があるため、飯田さんの練習を見に行くようになり、動き方を改善するためのトレーニングも指導するようになった。そんな折、体育館の入り口で一人、仲間よりも早く来て腹筋を鍛えている少年が目に入った。それが、西本だった。山本さんは、飯田さんに「あの子も呼んで、一緒に練習してあげたら?」と声をかけた。