「元競輪選手が育てたバドミントン日本代表」 西本拳太が4度目の世界選手権へ

平野貴也

部活後、少数精鋭のグループでトレーニング

09年の三重県総合選手権。右から西本、優勝した飯田さん、山本トレーナー、準優勝の中村恭子、中村周平 【写真提供:山本真琴さん】

 飯田さんと一緒に練習するようになった西本のプレーを見た山本さんは、2つの意味で衝撃を受けた。

「難しい体勢で打つショットの精度や球筋が、明らかにほかの選手とは違い、上手いなとは思いました。ただ、身体の使い方は、めちゃくちゃ。ブレーキをかけながらアクセルを踏むような動かし方で、絶対にケガをすると思いました」(山本さん)

 実際、トレーニングをすると、身体操作に改善の余地があることは明白だった。ラダートレーニングでは、跳び上がる直前に腕を振り上げて全身の動きをリンクさせるが、西本は腕を振り下ろしながら跳び上がっていたという。山本さんは、身体の使い方を指導するだけでなく、教育的観点と熱意を持って接し、食事や睡眠の重要性など競技に対する向き合い方も教えていった。

 そのうち、山本さんが指導する「YAC(山本アスリートクラブ)」と称するグループが出来たが、中学の部活の後まで熱心に活動したがる子どもは少なく、5人程度。西本の1学年下にあたる中村恭子もその一人。中学まで地元に残りながら、国内最高峰のS/Jリーグでプレーする選手に成長(昨年に引退)。地元で集まった熱意ある少数精鋭の取り組みにより、山本さんや社会人選手の飯田さんに、マンツーマンに近い状況で指導を受けて、西本の土台は築かれた。

身体の使い方を改善、スイングとフットワークに変化

山本さんの下でトレーニングを続けていくうちに、体の使い方を習得。スイングにも変化が起きたという 【写真:ムツ・カワモリ/アフロ】

 山本さんのトレーニングは、身近な大会を勝つためのものではない。長く戦い続けられる身体と動きを作ることがメインだった。西本が小学生の高学年でオスグッド(成長期にひざが痛む症状)に悩まされた期間は、バランスボールに座った状態でラケットを振らせて打ち方を改善。スイングは「腕を振るのではなく、ひじを回しなさい」と指導。肩甲骨やひじを通じて全身の力が伝わり、腕がしなやかに伸びると、打点が高くなった。中学2年で右ひじを痛めた期間は、左腕で振らせて左右のバランスを見直した。8カ月も右で羽根打ちができなかったが、トレーニングにより、正しい身体の使い方を習得していった。床を蹴って動くフットワークも改善。重心移動がスムーズになり、ドタバタと鳴っていた足音が消えた。

 西本は身長180センチ。まだ背が伸びそうな少年の身体を見た山本さんは、桃田賢斗(NTT東日本)と同期で日本一になれなかった西本の両親に「この子は20歳を超えてからですよ」と伝えた。西本は、中央大学4年の2016年に全日本総合で優勝。翌年から世界で活躍を続けている。

 西本は「今思うと、中学から外に行かなくて良かった。今年で28歳。レベルの高い世界で長くプレーできているのは、山本さんに教わった基本のおかげ。年を追うにつれて意味が分かってくる。バドミントンしか知らない指導者の下にいたら、難しかったと思います」と当時を振り返った。

他人と同じ道でなくても可能性はある

 2人は、故郷を巣立った後も、交流を続けている。2018年1月、西本はマレーシアマスターズで準優勝。五輪と世界選手権で計7度も銀メダルを獲得した地元の英雄リー・チョンウェイを破る勝ち上がりで世界を驚かせた。この直前の年末年始に山本トレーナーのトレーニングを受けており、試合に向けて逆算するコンディショニングの効果に驚いたという。今年1月にも山本さんのTwitterに西本が登場。「トレーニングしてください」「もう、ええやん」というやり取りがあったという。日本のバドミントン界のトップ選手は、幼少期からエリート集団の中で育つ印象が強いが、地元の少人数でも、ラケットを握れない日が長くても、進む道はあると西本は示している。世界選手権で過去最高成績のベスト16を超えられるか。「頑張ってますよねえ」と言いながら見守っている元競輪選手の恩師との絆を胸に、4度目の挑戦に臨む。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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