連載:打順別・最強打者は誰だ!?<2番打者編>

「攻撃的2番打者」の先駆け・小笠原道大 打順よりも大切に考えていたことがあった

前田恵
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「恐怖の2番打者」として幅広い世代のファンから人気を博す小笠原・現巨人コーチ。2番を打っていた当時、何を考え打席に立っていたのか 【写真は共同】

「フルスイング」が代名詞のスラッガー・小笠原道大。日本ハム入団3年目の1999年、バントをしない「恐怖の2番打者」として、大ブレークを果たした。2番を打った年数は2年ほどと少なかったが、昨今、日米球界でトレンドとなっている「攻撃的2番打者」の先駆けとして、今もファンの記憶に強烈な印象を残す。現在、巨人二軍打撃コーチを務める小笠原に、当時の話を聞いた。(取材日:5月27日)

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「恐怖の2番」にも「意識しなかった」

――プロ入り3年目の1999年、開幕から2番に起用されました。上田(利治)監督やコーチから、何か起用に関する説明はあったのですか?

 特になかったですね。オープン戦が始まるころには、もう2番を打っていたと思います。

 コーチには「何も考えず、思い切って自分のバッティングをしてくれ」とだけ言われました。僕はそれまでの2年間、スタメンで出たことがほとんどなかったので、まずは結果を出すこと、つまり打つことが大前提。2番という打順によって求められた役割もなかったし、自分自身もそこまでは考えていませんでした。

――当時の小笠原“選手”にとって、「自分のバッティング」とは?
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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