「最強2番打者」ランキング

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 スポーツナビでユーザー投票を実施した「最強2番打者ランキング」。のべ1万人以上のプロ野球ファンが選んだ、最強2番打者は誰だ!?
 今回はOB編のランキングを発表します!

※1人3票まで投票可能
※ランキング上位と総評コラムはスポーツナビアプリでご覧いただけます

ランキング

順位 選手名 所属 得票率
1 井端弘和 中日など 25.15%
2 小笠原道大 日本ハムなど 20.95%
3 川相昌弘 巨人など 16.02%
4 井口資仁 Wソックスなど 13.14%
5 篠塚和典 巨人 12.45%
6 宮本慎也 ヤクルト 10.43%
7 赤星憲広 阪神 8.28%
8 立浪和義 中日 7.92%
9 稲葉篤紀 ヤクルトなど 6.10%
10 二岡智宏 巨人など 5.70%
11 清水崇行 巨人など 5.61%
12 川崎宗則 ソフトバンクなど 5.59%
13 荒木雅博 中日 4.93%
14 正田耕三 広島 4.49%
15 本多雄一 ソフトバンク 4.33%
16 簑田浩二 阪急など 3.79%
17 石井琢朗 横浜など 3.50%
18 平野恵一 オリックス 3.45%
19 平野謙 中日など 3.41%
20 新井宏昌 南海など 3.07%

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解説

OB編で唯一、得票1,000の大台に乗せ、1位に輝いた井端弘和。荒木雅博との『アライバ』コンビとして一時代を築いた【写真は共同】

『OB最強2番打者』栄えある1位には、得票率25.2%で井端弘和(中日など)が選ばれた。井端がプロで活躍したのは平成時代ではあるが、昭和的2番打者の特長を存分に備えた選手だった。特に打っては1、2番、守っては二遊間で長らくコンビを組んだ荒木雅博との『アライバ』コンビは、中日黄金期の象徴でもあった。そのため読者のコメントも、井端の職人技と『アライバ』コンビの思い出に触れるものが多かった。

「言わずと知れたつなぎ役、内角さばきが上手く、バッティング、バント、盗塁、守備すべてがチームの勝利に直結していた印象が強い」(以下、「カッコ」内は読者コメント)

「アライバの1、2番が最高だったのは、井端のファウルと荒木を生かす右打ちのバッティング、盗塁するタイミングの阿吽の呼吸があったからです」

 ちなみに井端がファウルで粘り簡単にアウトにならないのは、亜細亜大時代、フリー打撃で“ファウルを打つ練習”をしていた賜物だそうだ。

 野球のルール上、ラインアップの9人のうち、上位から順番に打席が多く回ってくる。それならば、上位に強打者を置いてドカンと先制パンチを食らわせ、その後も打席数と得点力に期待する、というのが『二番最強打者』論。メジャーリーグで近年トレンドとなり、日本でも増えてきた。

 しかし、このトレンド以前にも『恐怖の二番打者』と恐れられた選手が日本球界にいた。得票率21.0%で2位に挙がった、小笠原道大(日本ハムなど)である。入団3年目の1999年、打力を買われて二番に定着。いきなり打率.285、本塁打25を打つと、翌2000年は打率.329、本塁打31、打点102の成績で、当時『ビッグバン打線』と呼ばれた日本ハム重量打線の目玉となった。

「打って打って打ちまくる、ビッグバン打線の象徴はやはり“バントをしない、恐怖の2番打者”にあった! パじゃないと見られない豪打、彼がいたからパの投手は強くなった」

『ガッツ』こと小笠原、そのNPB通算バント数は巨人時代の『2』のみであった。

元祖「攻撃的2番打者」として活躍した小笠原にも多くの票が集まった。魂のフルスイングが、従来の2番打者のイメージを変えた【写真は共同】

 3位は得票率16.0%で川相昌弘(巨人など)。従来型2番の典型像を語るとき、昭和の野球を見た年齢層なら真っ先に名前が挙がる選手である。通算23年の現役生活で533本の犠打数は、NPB記録はおろか、世界記録。読者のコメントにも「バント名人」「バントの達人」「バント職人」と、その技術を称える代名詞が数多く見られた。

「大好きな選手でした。川相さんを見て犠打は簡単なんだと勘違いしてしまったころが懐かしいです(笑)」というコメントにも納得。

『ジイ』と呼ばれた顔立ちも老獪なプレーも、「いぶし銀」の味わい深かった。

 次に現在ロッテ監督の井口資仁(ダイエーなど)が、得票率13.1%で4位。日本では主に3番を打っており、MLBホワイトソックス時代に2番打者として、2005年の世界一に貢献した姿が印象に残った結果だ。

「走攻守欠点がなく、これまでのつなぎ役、バントが上手いという2番の固定概念を打破した」とコメントにあるように、打撃の数字のみならず勝負強さや走塁、守備まで含めた「オールラウンド」な魅力が評価された。

 5位は得票率12.5%で、篠塚和典(巨人)。篠塚も井口同様3番に入ることが多く、シーズンを通して主に2番に入ったのは1985年、86年の2年だった。「自分が狙った方向、狙った打球を放つことが可能」「あのバットコントロールは誰にも真似できない」とファンを唸らせる広角打法で、通算打率3割超。『打てる二番打者』と呼ばれ、クロマティ、原辰徳のクリーンアップにつなぐチャンスメークやここ一番での大きな当たりに、巨人ファンの心は躍ったものだ。

 続いて、得票率10.4%の宮本慎也(ヤクルト)が6位にランクイン。3位・川相が通算犠打数世界一なら、こちら宮本もシーズン67犠打(2001年)が世界タイ記録である。「バントでしっかりランナーを送ることができ、またヒットでチャンスメークもできる、理想の2番打者」と、「つなぐ2番打者」としての能力がファンに大きく買われた。名球会入り選手の中、2000安打と400犠打以上を達成したのは宮本だけ、という記録も素晴らしい。

 7位は得票率8.3%で、盗塁王5回のスピードスター・赤星憲広(阪神)。どちらかといえば典型的な1番タイプの赤星を2番に置いた打線は、相手の脅威であった。読者のコメントも、この打順の成果について触れるものが多かった。

「2003年の赤星はすごかった。バッターとしてだけじゃなく塁に出たらピッチャーがストレートを投げざるを得なくなるので、(3番)金本(知憲)の打席を援護した」

「1番・今岡(誠)の後の2番・赤星。絶対ゲッツーがないから強気な采配ができる」

 脊髄損傷によりわずか9年の現役生活に終わったのは、残念だった。

 8位は得票率7.9%で現中日監督の『ミスター・ドラゴンズ』立浪和義(中日)。ファンからは「ミスターツーベース。もう大好き」と、熱烈なコメントが届いた。この「二塁打」が、立浪に投票したファン最大のキーワードだ。22年間の現役生活で放った通算487二塁打は、NPB記録。1988年ルーキーイヤーのプロ初安打も二塁打、2009年の引退試合も二塁打で締めた、まさに『ミスター二塁打』である。

 そして侍ジャパン前監督の稲葉篤紀(ヤクルトなど)が、得票率6.1%の9位。2番に入った試合は多くはなかったが、通算261本塁打と429二塁打(NPB歴代5位)で、小笠原や井口に近い『恐怖の2番打者』タイプである。「ヤクルトファンです。稲葉さんの低空ライナーで外野手の間を抜く打球が好きでした」というコメントからは、その瞬間のスタンドの歓声が聞こえてくるようだ。

 トップ10最後は、投票率5.7%で二岡智宏。こちらも小笠原、井口、稲葉タイプの「クリーンアップが打てる」攻撃型2番である。「1番・仁志(敏久)、2番・二岡、3番・元木(大介)、4番・松井(秀喜)、5番・高橋(由伸)の時代、いつアウトが取れるかと思うくらい打線がつながっていた記憶がある。中でも二岡さんは絶対次につなげていた」と、巨人ファンにとっては良き時代、他球団ファンにとっては脅威の時代を懐かしむ声が多かった。

 最後にランク外で紹介したい選手が2人。

得票率0.9%の豊田泰光(西鉄など)は、バントや小技の2番打者が常識だった1950年代、今でいえば坂本勇人(巨人)のようなスタイルで首位打者まで獲得した猛者である(奇しくも坂本と同じ遊撃手だった)。「西鉄ライオンズ最強時の2番打者。1番切り込み隊長・高倉(照幸)を豊田が進め、中西(太)、大下(弘)で先取点。心が弾みます」とコメントしたのは、当時を知るファン!?

 得票率1.6%の山本和範(近鉄など)はダイエー時代の1994年、元祖『バントをしない2番打者』として活躍し、打率、出塁率ともイチロー(当時オリックス)に次ぐ2位。年代的にも、豊田に比べて実際の打棒を見たファンが多いであろうことからも、「攻撃型2番のパイオニア」として票を集めた。

(文:前田恵、企画構成:スリーライト)

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