グラウンドガールが見た川崎劇場の舞台裏 ベンチ裏が通行禁止になったきっかけは...
2000年に解体される直前の川崎球場。現在は「富士通スタジアム川崎」として川崎フロンターレが管理。当時の照明塔や外野フェンスの一部が残されている 【写真は共同】
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初めて足を踏み入れたプロ本拠地球場の舞台裏
1988年、伝説の「10.19」の舞台だった川崎球場。優勝の可能性が消え、頭を抱える近鉄ナイン 【写真は共同】
私たちの控室は、球場の三塁側にあった。三塁側ベンチ裏の小さな通用口から入ると、ブルペンとグラウンドの間のやや低い位置にある小部屋が、私たちの控室だった。横開きのドアをガラガラと開け、階段を2、3段下がると、土間がある。奥の2段ほど高いところに畳が数枚敷かれ、箪笥が置いてある。そこに私たちのユニフォームが入れられていた。昔の使用人部屋のような趣だった。
私たちの待遇はともかく、「これはやはり、プロ野球の本拠地としてはいくらなんでもいかがなものか」と思ったのは、ビジターの若手選手たちがブルペン脇の通路で着替えをしているのを目撃したときだった。筋肉隆々の男たちが、スライディングパンツ一丁で談笑しながら着替えているのである。しっかり挨拶をしつつ、その真横を通らなければいけない、うら若き乙女の身にもなってほしい。時々「エッチ〜♡」とからかわれたが、今思えば選手たちも高校野球地方大会以下レベルの環境で、やるせなかったんだろうな。
クリアに聞こえる観客のヤジ
ちなみにブルペンからグラウンドに向かう出入り口の横に、4段ほどの階段状になった木のベンチがあって、ブルペンで投げない投手は試合を見ながらそこで待機していた。私も授業をサボって早めに球場入りし、ここで試合前練習を見るのが好きだった。
球場が狭ければ、ファウルグラウンドも狭い。もちろんスタンドも狭い。一塁側に飛んだファウルボールは、選手・関係者の駐車場を直撃する。だからベテラン選手ほど、ボールの直撃を避けられる位置に車を止めていた。
先日、ある雑誌の取材で元ロッテの高澤秀昭さんと話す機会があった。「あんなにファウルグラウンドが狭いところにグラブも持たずに女の子がいて、危なくないのかなと心配だった」という。私たちは試合中、ベンチのホームベース寄りにあるバットケースの前に陣取っていた。すぐ隣に必ずコーチが立っているし、ベンチのみなさんが声で知らせてくれたので、ほとんど危険を感じたことはなかった。むしろ、ファウルボールを捕りに一直線で向かってくるキャッチャーのほうが、ヘタに妨害できないぶん恐怖である。一度だけ足に当たったときは、打球がスローモーションでだんだん大きくなりながら近づいてくるのが分かったが、逃げられなかった。
しかし、これだけファウルグラウンドが狭いと、スタンドと選手の距離は近すぎるほど近い。ベンチにいても、ヤジがしっかり聞こえてくる。選手もコーチもそのたびに笑ったり、苦笑したり、いろいろだった。外野スタンドのヤジも、よく外野手の背中に突き刺さっていたらしい。今の球場のようにファンの大声援も音響効果も何もないから、レフト側スタンドのすぐ向こうにある競輪場の打鐘(ジャン)の音が始終聞こえていた。