リレーに懸けた桐生の思いは報われず 悔しさを晴らすチャンスはきっと訪れる
桐生のもとにバトンは渡らず、東京五輪を終えた
仲間を励ます第3走者の桐生(写真右から2番目)。肝心のバトンは、いつまで待ってもやって来なかった 【写真は共同】
予選は1組3位となり、着順で通過したものの、38秒16は全チーム中9番目のタイム。仮に2組に入っていたとすれば、38秒10で予選落ちしたアメリカに届かず、決勝の舞台を踏むことさえできなかったことになる。余裕を持って渡し、ミスのリスクを減らす「安全バトン」を全区間で心がけていたとはいえ、このままでは到底金メダルには届かない。チームを指揮する土江寛裕コーチは、こう決断した。「金メダルか失格か、ギリギリのラインを攻めていく」。
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その様子を呆然(ぼうぜん)と見つめた桐生は、同じく走る機会のなかったアンカーの小池祐貴(住友電工)と合流。打ちひしがれる多田と山縣の肩を抱き、懸命に慰めた。ただ、やはり無念の思いは拭えない。「僕がもっと予選から早く走っていれば、多田と山縣さんに余裕を持って走ってもらえた」。自らも責任を背負い、号泣した。
土江コーチも絶大な信頼を置いていた、桐生の3走
土江寛裕コーチ「桐生の3走は8年かけて育ててきた。自信がありました」 【写真は共同】
だが、日本のリレーは桐生を必要としていた。16年のリオデジャネイロ五輪(銀メダル)、17年、19年の世界陸上(銅メダル)と、近年躍進を続けてきたチームの中で、唯一の皆勤賞が桐生である。より正確に言えば、「桐生の3走」だ。どんな相手とでもつないでみせる柔軟なバトン合わせと、レーンの位置によって体の傾きを調整し、無駄のない走りで進むコーナーワーク。東洋大時代からタッグを組む土江コーチも「桐生の3走は8年かけて育ててきた。自信がありました」と太鼓判を押すように、若手の台頭や故障によってこの5年でさまざまなメンバーが出場する中、桐生だけはそのポジションを守り続けてきた。
7月9日に山梨で始まった合宿初日に、毅然(きぜん)とした表情で語った。「(近年の)世陸や五輪のメダルを全部持っているのは僕しかいない。リレーに選んでいただいたので、最高のパフォーマンスをするのが自分の仕事です」。当然、個人で代表を逃した無念が消えたわけではない。でも、「僕は悔しさを引きずるためにここに呼ばれたわけじゃない」。そう言い切った25歳は、まさしく仕事人の風格を漂わせていた。