佐藤寿人×柱谷哲二 J-OB新旧会長対談 日本サッカー界への恩返しのために――

青山知雄

Jリーグ選手OB会「J-OB」の新旧会長が対談。初代会長の柱谷哲二(右)さんから第2代会長の佐藤寿人さんにパスがつながった 【(C)J.LEAGUE】

 2009年10月に発足したJリーグ選手OB会。通称「J-OB」と呼ばれる同会は、かつて日本プロサッカー選手会を立ち上げ、初代会長を務めた柱谷哲二氏の呼びかけで誕生。今年で発足13年目を迎えた。そして今年6月末をもって柱谷氏が退任し、第2代会長に昨季限りで現役を退いた佐藤寿人氏が就任。周囲からも抜群の人柄とバランス感覚が高評価を受け、選手会長の経験も備えた新会長とともに、新たなスタートを切ることになった。

 今回はJ-OBの立ち上げから奮闘してきた柱谷初代会長と、未来への舵取り役を託された佐藤新会長が対談。サッカー界への恩返しを誓うJ-OBの思い、立ち上げからの苦悩と衝撃の資金ショート、新体制発足の舞台裏、そしてJ-OBの未来までを語り合ってもらった。(取材日:6月30日)

2代目は寿人しか考えられなかった(柱谷)

――今日は村井満チェアマンをはじめとするJリーグの皆さんに会長交代のあいさつをされたと聞きました。どんなお話をされたのでしょうか?

柱谷 まず僕からは2009年の立ち上げを含めたJ-OBの歴史と目的をあらためて説明させてもらい、佐藤寿人新会長に引き継ぐことを報告しました。村井チェアマンからは感謝の気持ちをいただきました。

――あまりJ-OBという組織をご存知でない方もいると思います。まずは簡単にご紹介いただけますか。

柱谷 J-OBはJリーグでプレーした選手OBによるサッカーへの恩返しを目的に、09年に立ち上げた団体です。サッカーを通じた社会貢献、サッカーの普及促進のために活動してきたので、任意登録制で、入会金も会費もゼロ。これは今まで一貫して変わらない方針です。その中で目指してきたのは、Jリーグに寄り添ったJ-OBを作ること。今は一般社団法人として活動していますが、本来はJリーグと対等、並列な立場の組織ではなく、できたらJリーグの中に入ってサッカー界への恩返しをするのがベストだと思っています。

――外部ではなく、内部にあるべきだと。それはどうしてですか?

柱谷 Jクラブのホームタウンではいろいろな取り組みがなされています。日本全国でサッカー界へ恩返しをしたいJ-OBとしては、Jクラブのない地域でサッカースクールを開催したり、日本サッカー全体を盛り上げるため活動をすることに意義があると考えてきました。ただ、地方でサッカースクールをやる場合には、どうしても参加者側に費用負担が発生してしまうので、それを無償でやりたかった。

 そのためには地域との連携を含めたJリーグのサポートが必要ですし、当然ながら運営資金も必要になります。Jリーグでプレーした僕たちが、今度はJリーグの理念をサポートする形で盛り上げたいし、そのための組織として機能したい。今回、村井さんにはそういった部分の意義や思いもあらためてお伝えしました。

――寿人さんも新会長になるにあたって、いろいろと過去の話を聞かれたと思います。

寿人 そうですね。村井さんも発足当時の経緯や原点の部分は詳しく知らなかったようでした。僕は2010年から選手会の理事になったんですが、ちょうど労使交渉でリーグ側といろいろ話し合いをしているタイミングだったんです。同じような時期に哲さんが現役を引退した選手OBのための組織を立ち上げて、選手としての経験をJリーグに還元、恩返ししたいという思いでJ-OBを作ったところは、村井チェアマンにも感じ取ってもらえたんじゃないかと思います。

――柱谷さん、寿人さんともに選手会長の経験がありますよね。

寿人 哲さんは選手会を立ち上げて初代会長になられていますし、J-OBも含めてゼロをイチにしてきた偉大な先輩です。僕は09年から理事として、12年からは5代目選手会長として思いを引き継がせていただきましたけど、そこでも諸先輩方が築いてきてくれたものの偉大さを感じていました。哲さんは本当にいろいろな方々と話をして、時には選手やOBのために押し通さなければならない交渉もあったと思います。それもすべて未来のJリーグ選手のため、未来のJ-OBのためにやってきてくれたことなんですよね。それは選手会時代からそう感じていましたし、現役引退後にJ-OBに携わるようになって、そういった部分をあらためてすごく感じています。

――柱谷さんは長期にわたってご尽力されてきました。今回はどういった経緯で会長職を譲ろうと思ったのでしょうか?

柱谷 2年ほど前から次世代に引き継ぎたいという話を理事会でしていたんですが、ちょうど2020年にスポーツ庁から組織の透明性を出すためのガバナンスについて新たな運用ルールが適用され、理事の任期が原則最大10年と明記されたんですよ。自分も含めて大半の理事が任期をオーバーしていたので、これを機会に大きく変えた方がいいと提案しました。従来の理事は自分が選んだメンバーだったので、まずは一掃した上で新しい会長がやりやすいようにできればと思って、今回の理事会で総退陣することにしたんです。

――それで今年6月の理事改選で会長と理事の大幅交代が必要になったのですね。佐藤新会長就任には、どのような背景があったのでしょうか?

柱谷 もう、とにかく寿人の名前しか頭になかったんですよ。パっと名前が浮かんで、すぐに電話しました。最初は理事に入ってもらいたいというお願いをして、そこから自分の決断として「実は会長をやってほしい」という話に広げた感じです(笑)。もし自分が会長のオファーを受けたとしたら、共感する思いや気持ちがあれば即答で快諾するんですけど、寿人も即答してくれた。周りから評判は聞いていましたが、やはり素晴らしい人物だなと思いましたね。

――最初のコミュニケーションは会長就任の打診じゃなかったのですね。

寿人 そうなんですよ。そんなに大幅な理事改選を考えていることも知らなかったですし、引退してすぐにJ-OBに登録して、そのメンバーとして何かできればと思っていたところで理事の話をいただいた形でした。そこからの急な会長打診だったので、すごくびっくりしました。たぶん僕が驚いたのは哲さんも感じ取ってくれたと思います(笑)。

――柱谷さんやJ-OBとは、以前からいろいろと話をされていたのですか?

寿人 J-OBの皆さんとは選手会時代からコミュニケーションを取らせてもらっていました。哲さんとも食事をしながら選手会との連携について可能性を模索していましたし、僕も選手でありながらJ-OBのあり方を考えていたところもあります。選手会の中にいたからこそ感じられたこともあったと思いますし。

 だからこそ、たくさんの苦労を乗り越えてゼロをイチにしてきた哲さんからの「会長を託したい」というお話が本当に心に響いたんですよね。自分としても「これはじっくり考えて決断するのではなく、自分の中でやるかやらないか」だと。自分も責任を持って選手会長を務めた経緯がありましたし、J-OBも2代目として引き継げればと感じて即決しました。先輩方の思いを継承しながら、時代に合わせた形で何ができるのか。自分たちの代も、その先のことも考えながら、何がするべきかを考えていかなければとは思っています。

――柱谷さんとしては、無事に新会長を引き受けてもらえて良かったですね(笑)。

柱谷 本当に良かった。実は電話の前に受けてもらうための作戦を考えてましたからね。話の筋道でパターン立てしながら、どうやったら寿人の気持ちをつかめるんだろうって。まず寿人の名前が頭にすぐに浮かんだこと、周りの誰に聞いても素晴らしい評価をしていること――。もう褒めて褒めて褒め倒すしかないなと。だからホッとしました。電話を切ったあと、思わずガッツポーズして、一人で乾杯しましたから(笑)。

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著者プロフィール

2001年からJリーグやJクラブの各種オフィシャル案件で編集やライターを歴任。月刊誌『Jリーグサッカーキング』で編集長も務めた。関係各所に太いパイプを持ち、2017年から2023年までDAZNで各種コンテンツ制作に従事。現在はフリーランスとしてJリーグ、日本代表を継続取材している。

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