佐藤寿人×柱谷哲二 J-OB新旧会長対談 日本サッカー界への恩返しのために――

青山知雄

OBオールスターも実現できたら(柱谷)

ゼロからJ-OBを立ち上げ、10年以上にわたって奮闘きた柱谷さん。資金のやり繰りなど運営は苦労が絶えなかったという 【(C)J.LEAGUE】

――柱谷さんはここまで会長を務めてきて、どんなところが大変でしたか?

柱谷 やはり一番は資金ですね。発足当初はJリーグから活動資金を提供いただけていたんですが、東日本大震災の影響などもあって見直しになってしまい、そこからは自分たちで予算立てをする必要が出てきました。素晴らしい意義と目標があっても、やはり予算がなければ動けない。我々は無報酬でいいんですが、運営や実務を考えたら、どうしても専任の事務局が必要になります。選手会は選手からの会費で運営して事務局を立ち上げていますが、OBになると大半の人が現役時代より収入が減ってしまうので、会費を取るわけにはいきません。

 それに会費制にした瞬間に損得勘定が発生して恩返しが目的ではなくなってしまいかねない。元来の目的はサッカー界への恩返しなので、そこは常に頭を悩ませてきました。「どうせ元日本代表の人たちだけが得をするんだろう」と言われたこともありましたからね。

――やはり運営の部分は難しいのですね。

柱谷 Jリーグの協力もあってJリーグのパートナー各社のイベントに協力したり、日本サッカー協会のサポートをしたり、スポーツ振興くじ(toto)助成金で無償のサッカー教室を主催したり、いろいろと地道に頑張ってきました。とにかく絶対に赤字を出さないという考え方も大事にして、しっかりと税金を支払おうと。

 ただ、実はちょっとした収支の読み違えが原因で、10年ほど前に一度だけ資金ショートしてしまったことがあるんです。そのときは自分も含めた理事が自腹を切って乗り切りました。もちろん万が一の場合を想定して覚悟はしていましたが、本来は絶対に起こしてはいけないことだし、そこから本当に厳しくチェックするようになりました。なので、それ以降は一度も赤字は出していないですね。

――オフィシャルに近い立場でイベントを実施できていますし、まさに「地道な」取り組みが少しずつ実を結んでいるようにも思います。

柱谷 僕の仕事は土台作りだと思っていましたからね。世間からも認めてもらい、共感してもらえるグループじゃなければならないと考えて、歳月をかけて信用してもらうことを心掛けてきました。だから絶対に赤字は出しちゃいけないんですよ。こうやって各所と一緒に動けるようになってきたのも、信頼の証しだと僕は思っている。ここから先を伸ばしていくのは、次の新しいパワーですよ。

――それが寿人新会長へのバトンということですね。次世代へ引き継ぐにあたって、他に現状で抱えている悩みはありますか?

柱谷 あとは会員数でしょうね。Jリーグからこれだけ多くの選手OBが出ているのに、自動入会制の選手会とは違って登録が任意ということもあり、実は会員数が少ないんです。1993年のJリーグ開幕以降、のべ6000人近い選手がエントリーされてきましたが、今のJ-OB登録者は500人程度。選手会からJ-OBへ自動的に登録をスライドできないかを相談しているんですが、諸問題があってうまく進まない難しい現状があります。

寿人 それは選手会時代から哲さんとも話していましたよね。「J-OBは任意登録制なので、まだ自動化は難しそうですね」って。それに最近はプレー環境が多様化していて、J参入を目指す社会人チームなどで現役を続けられるケースが増えてきたので、現役引退のタイミングもさまざまになってきました。僕みたいにスパッと「引退します!」ってオープンにする場合はいいんですけど、現役続行を目指してチームを探していると難しい。昨シーズンの動向を見ていくと、登録抹消された選手の半数以上がJクラブ以外で現役を続けているんです。それをどこまで事務局側で追いかけてアプローチするかというリソースの問題もあります。

――時代の変化にも影響を受けているのですね。

寿人 それは間違いなくありますね。哲さんが選手会長をされていた当時は、まだJ1だけでしたよね?

柱谷 そう。J2もなかったね。

寿人 そうですよね。ちょうど僕が選手会長だったタイミングでJ3がスタートしたんですけど、そこでもプロとアマチュアの違いや、どこまで意見を吸い上げるかという難しさはありました。選手会もJ-OBも立ち上げ当初から大きく状況が変わっているのは確かだと思います。

柱谷 そもそもJクラブでOB会を作っているところが少ないよね。JSL時代の日産自動車とか読売クラブのOB会はあっても、JクラブでOB会を組織化しているところはなかった。最近になって浦和レッズやガンバ大阪とかがOB会を立ち上げたけど、クラブごとに管理できていれば、OB戦やイベントがもっとやりやすくなると思う。

寿人 僕自身も「広島でOB会を作りたいな」と思ったことがあったんですよ。僕は2016シーズンまでサンフレッチェ広島でプレーしたんですけど、その後に広島で豪雨災害があって、オフシーズンに入ったタイミングで被災した子どもたちにサッカー教室をしたいと考えて。でも、サンフレッチェはチーム行事とかでタイミングが合わなかったので、僕と同じようにすでにチームを離れていた広島OBに声を掛けたんですね。そうしたら最終的に20人くらい集まって、2日間で計4回、400人くらいの子どもたちとボールを蹴ることができたんです。

柱谷 その取り組みは素晴らしいね。

寿人 まさにこういうことがサッカーを通じた恩返しとか社会貢献だと思うんですよね。こういったクラブベースの話もそうですし、J-OBとしてもしっかりと全体を集約できる場として機能して会員数を増やしていけば、コロナ禍が収まったときにいろいろことができるようになると思うんです。そうなれば、Jリーグが地域密着を理念に掲げてやってきた一番大事な部分を作っていけるんじゃないかなと。当時はまだ現役でしたけど、OB会の存在価値を感じていましたし、引退した今はJ-OBという組織をしっかり継承して、さらに発展させていかなければとあらためて思いますね。

柱谷 各地で動けるようにするためにも、やっぱりクラブごとのOB会があった方がいいよね。各クラブに選手OBがいるから、事務局はクラブ内に置くのがいいと思う。理想形としては、クラブごとにOB会があって、それを集約する位置にJ-OBがあれば、きれいに状況を整理できるんじゃないかな。

G大阪は18年にOB会を発足。19年には「ガンバレジェンドマッチ」を開催するなど、地域貢献や普及活動を行っている 【(C)J.LEAGUE】

――コロナ禍になる前は各地でOB戦が行われていて、ファンも楽しかったのではないかと思います。

佐藤 いろいろな発想や切り口を持つことが大事だと思うんですよ。古くから応援してくれていたファンに対しても、新しい世代に向けても。そういった話も村井チェアマンとの話で出ましたよ。「懐かしのユニホームでOB戦をやってみても面白そうだね」っておっしゃっていました。

柱谷 OBオールスターも実現できたらいいよね。実は以前、クラブ別OBでフットサルのトーナメント大会をやろうというアイデアが出たことがあった。そのときもすぐに声を掛けられる組織の重要さを感じたけど、今だったらスマホでポチッと押すだけで出欠を取れるわけだから。そういった部分でも時代は変わったよね。

――Jリーグは2023年に30周年を迎えます。コロナ禍が収まったら、サッカーファンの皆さんに喜んでもらえるような大きな企画も考えたいですね。

寿人 やっぱりファン・サポーターの皆さんもクラブの歴史やOBが残してきたものへの思いが強いでしょうし、OBの方々もそういう場所に来ることによって、OBであることを実感できる。そうやってOBがリスペクトされていく存在になっていくことが重要だと思いますね。

柱谷 そこだよね。各地に多くのJ-OBがいるから、全国的には有名な選手じゃなくても、その地域でリスペクトされている人はたくさんいる。だから引退した選手がJリーグでプレーしていたことを証明できるものをJ-OB以外でも作れないかと考えて、村井チェアマンにも「彼らのプレー中の写真を提供してもらえないか」ってお願いしました。彼らにはJ-OBであることを誇らしく感じてもらいたいし、周囲からリスペクトされることでJリーグや選手の価値が高くなっていくはず。OBの存在はサッカー界全体の財産だと思うんです。もちろん契約上の関係はありましたけど、一緒に戦ってJリーグの歴史を支えた選手なので。

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著者プロフィール

2001年からJリーグやJクラブの各種オフィシャル案件で編集やライターを歴任。月刊誌『Jリーグサッカーキング』で編集長も務めた。関係各所に太いパイプを持ち、2017年から2023年までDAZNで各種コンテンツ制作に従事。現在はフリーランスとしてJリーグ、日本代表を継続取材している。

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