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巻誠一郎「マジか、また選ばれたって」
日本代表、ドイツW杯、オシムを振り返る

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献身的に泥臭くプレーすることは特別に意識していたことではなく、サッカー人生を歩むなかで自然と確立されてきた
献身的に泥臭くプレーすることは特別に意識していたことではなく、サッカー人生を歩むなかで自然と確立されてきた【Photo by AFLO SPORT】

 FWという最も前線で得点が求められるポジションには、ときにエゴイスト(利己主義者)と呼ばれるタイプの選手がもてはやされてきた。だが、元日本代表FW巻誠一郎のプレースタイルは、そんな選手とは対照的。空中戦の強さはもちろん、前線で走り続け、泥臭くハードワークできる献身性が魅力だった。


「僕も深く考えたことはないんです。でも、小さい頃から器用な方ではなかったですし、ズバ抜けた身体能力があったわけでもない。そんななか高校生くらいの頃から、自分の価値をどうチームに活かして生きていくかと考えたときに、誰かのために動き、チームが助かるようなプレーをすべきだと行き着いた部分はあります」


 それが自身の存在意義であり、その思考のもとでスタイルはいつしか体に染みついていった。巻曰く、献身的に泥臭くプレーすることは、特別に意識していたことではなく、サッカー人生を歩むなかで自然と確立されてきたという。

実力以上の力は出ないと痛感したドイツW杯

 そんな巻が一躍、世間の脚光を浴びたのが2006年ドイツW杯での“サプライズ選出”だった。当落線上と予想されたなか、故障がちだった久保竜彦と入れ替わるようにJリーグでの好調を買われた巻がメンバー入り。当時の代表監督ジーコが独特の口調でメンバー発表を行ったなか、最後に「……タマダ、マキッ!」と名前を呼び上げたシーンを覚えているサッカーファンは多いだろう。


 しかし、大きな期待とともに迎えたW杯は1分2敗でグループリーグ敗退。巻は最終戦のブラジル戦に先発し、60分プレーしただけだった。W杯はどんな記憶として残っているのか。


「パッと選ばれて、パッと行って、パッと帰ってきたみたいで、あっという間でした。それまで代表でプレーしたのは国内組中心のときだけで、それこそヒデさん(中田英寿)やシュンさん(中村俊輔)ら海外組は“はじめまして”という感じで……。そんな状況もあって普段はコミュニケーションを取るのが苦手なのに、チームに溶け込もうと必死でした。いま思えば、何の遠慮もせずにガツガツいっていたから、ちょっと面倒くさいヤツだったと思います。


 (近寄り難いと言われていた)ヒデさんの部屋にも普通に行ってアドバイスをもらったり、練習や試合前のアップも『一緒にやりませんか?』と自分から誘っていました。ヒデさんは普通に陽気だったのに、周りの選手からは『すげえぇな!』って言われましたけどね(笑)」


 W杯に出場できたことは大きな財産となった。だが、自身の無力さも痛感した。


「(先発したブラジル戦は)先制しましたが、そのあとはボコボコにされて……。よく大舞台に立った人は持っている力の120%が出たとかって言いますよね。だから、自分もどこかでそんなことがあるのかもしれないと期待していたんです。でも、まったくなかった。チームも惨敗でしたが、僕自身もできないことばかりで、こんなもんかって(苦笑)。逆に普段のトレーニングや試合で自分をどれだけ高められるかが、いかに重要かということを思い知らされました」


 史上最強メンバーが揃(そろ)ったと前評判は高ったが、大会後はチームに一体感がなかったなどと指摘する声も少なくなかった。


「それは少し感じました。トレーニングでも重たい空気があったというか。うまくいってるときはいいですが、そうじゃないときに心のよりどころみたいなのがあったら、少しは違っていたかもしれませんね」

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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