セレクション落選、選手権予選敗退… 神戸・櫻井辰徳は反骨心で上を目指す
高校選手権には一度も出られなかったが、神戸でプロとなった櫻井。「絶対にプロになる」と信じて取り組んできた成果だ 【(c)J.LEAGUE】
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練習のレベルが高いから公式戦のスピードに適応できた
プロのスピードに少しずつ慣れてきました。パスの質やプレーの強度も高まり、自分の良さを出せる場面が増えてきたので、かなり充実した4カ月を過ごせています。
――ルヴァンカップでは4試合に出場しています(5月3日時点)。4月28日の4節・大分トリニータ戦では決定機に絡みました。プロのスピードに慣れてきた理由を教えてください。
練習でトップレベルのプレースピードを経験できたからです。神戸には日本だけではなく、世界を代表する選手がいます。そのような先輩たちと普段からプレーしているので、公式戦のピッチに立っても相手のプレッシャーが速いとは感じません。レベルの高い選手たちと練習できる環境が(適応できた)要因だと思います。
――高校時代から注目を集めてきた櫻井選手ですが、中学以前は県選抜に選ばれた経験もありませんでした。サッカーを始めたきっかけや幼い頃はどんなタイプの選手だったんですか?
小さい頃から父と一緒にいろんなスポーツにチャレンジしていたんです。3歳ぐらいからサッカーだけではなく、ランニング、野球、バドミントンも一緒にやりました。その中でサッカーが一番楽しかったので、小学1年生の時に越生サッカー少年団でサッカーを始めたんです。ただ、当時はドリブルばかりしていましたね。パスを受けたらドリブルで仕掛け、前に張っているだけでボールを取られても奪い返しにいかない。「自分でドリブルをして、ゴールが取ればいい」という感じの選手でした(笑)。
――現在はパスを武器にしているので、正反対のプレースタイルですよね。
そうですよね(笑)。小学校の時は11人制ではトップ下などを務めていたのですが、8人制ではセンターバックだったんです。最終ラインからドリブルで仕掛け、ゴールを狙うようなプレーもしていましたね。
――現在のプレースタイルになったのはいつ頃ですか?
中学です。東松山ペレーニアジュニアユースに入団した直後に監督が僕をボランチで起用してくれたんです。初めはドリブルばかりしていましたが、監督が「もっと遠くを見てプレーしよう」とアドバイスしてくれました。もともとキックは小学生の頃から得意だったので戸惑いはなく、中学でゲームを作る楽しさに気がついたので今のプレースタイルになりました。
自分自身も2年生の頃から試合に出させてもらい、最終学年では中心選手を任せてもらいました。高校を決める際には、いろんなチームから声をかけてもらえるくらいになり、この3年間で大きく成長しました。小学校時代は「絶対にプロになる」とは信じていた一方で小学生の頃はなかなか試合に勝てず、「今のままではプロは無理だ」と感じてもいたのですが、中学の3年間で「上のレベルでも戦える」という思いが芽生えたんです。
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