会心の走りで五輪切符をつかんだ伊藤達彦 加速度的な成長の先に、海外勢との戦いへ
12月のダメージを克服し、「プラン通り」に優勝
残り2周で一気にスパートし、優勝を果たした伊藤(中央)。最高の形で五輪切符を手にした 【写真:松尾/アフロスポーツ】
「走れない間はトレーナーに見てもらいながらの筋力トレーニングが中心。そして最初はウォークもできなかったのでプールから始め、治りだしてからはバイクでインターバルトレーニングを行い、心肺機能を追い込んだりもしていました」
3月初めからようやくジョギングを開始し、強度を高めた練習を開始したのはその後半から。残された時間は少なく焦りはあったが、ここからは逆に予想以上にいいイメージで走れたという。
「もともと弱かったフィジカルを鍛えられたのですごくいい感触があります。ポジティブにとらえ、しっかり練習していきます」
3月末の時点ではもう明るい表情を見せていた伊藤。復帰戦として挑んだ4月10日の金栗記念5000メートルは目標タイム通りの13分45秒12で走り、スピードの戻りも確認できた。そこからは日本選手権直前は12月の前回大会と同じメニューで強化、調整。それらを前回以上のタイムで消化しており、自信をもって挑んだレースだった。
優勝しか狙っていなかった。12月の日本選手権では8000メートル以降、何度も相澤の前にでるアグレッシブな走りを見せたが、この日は先頭に出ることなく、集団前方で勝機をうかがった。レース終盤、伊藤の前にいたのは駒澤大の箱根駅伝優勝メンバー2人だった。学生長距離界のエース・田澤廉(3年)と、進境著しい鈴木芽吹(2年)。残り2周を切ってから伊藤はスパートし、一気に突き放した。
「プラン通りの展開です。だいぶ余裕がありましたので、残り1000メートルか600メートル(のどちらでスパートするか)で悩んでいたのですが、ペースが落ちた瞬間があったので。それがラスト800メートルでした」
ラストスパートは伊藤の武器。力を温存し、状況を見極め、勝負どころを外さない、実にクレバーな走りだった。