キャリアの絶頂で悪夢の前十字じん帯断裂 その時ローズを支えた、母の存在

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第2回

いったいなんであんなプレーをしたんだ、と自分を責める事もあったという。しかし、苦しんでいる人たちの希望の象徴になるためにこの境遇に陥ったと考え直した 【Getty Images】

 2011年はリーグトップの成績でホームコートアドバンテージを持っていた。2012年も同様だったので、来るべきときが来たのだと感じた。準備期間は終わっていた。そのシーズン中にいくつか怪我はあったが、大きいものではなかった。レギュラーシーズン最終戦となったクリーブランド・キャバリアーズとの試合には出場しなかった。とはいえ、短縮されたシーズンではあったものの、僕は準備ができている、このチームは準備ができていると感じていた。
 ブルズ入りして以来、僕の夢はシカゴのために優勝することだった。ブラックホークス(シカゴのNHL球団)が優勝したとき、僕にとってそれがモチベーションになったのを覚えている。あのトロフィーをシカゴに持ち帰ることを夢見ていた。「もう二度も優勝したのか? 僕も優勝しなきゃ。パトリック・ケイン(ブラックホークスのスター選手)のチームはもう優勝している」。パレードや祝勝会を見ることで、僕のモチベーションは上がっていた。シカゴのために、優勝したかった。今こそいける。ブルズが最後に優勝してからもう15年近くも経つ。

 今だ。準備はできている。僕はまだ若く、それ以外のことはあまり考えていなかった。身体も仕上がっていた。それなのに、フィラデルフィア76ers相手に、あの無茶なムーブをしてしまったんだ。あのシリーズは楽勝できると思っていた。僕たちが第1シードで彼らは第8シード。シーズン序盤に一度負けていたが、そのあと二回は我々が勝っていた。プレイオフ第一戦も20点差でリードしていて、感触はとても良かったんだ。僕は23得点、トリプルダブル間近だったらしいけど、正直あまりよく覚えていない。自分の得点を覚えていることはほとんど無いんだ。勝ったかどうかだけだ。そうすれば相手は何も言えない。相手がその試合で何をしようと、何点獲得していようと、どれほど格好いいダンクを決めていようと、勝ったのは僕だ。笑顔で帰れる。それが僕のトラッシュトークだ。
 僕がボールをパスしながら倒れた時には、膝の靭帯が完全には断裂していなかったのを覚えている。76ersのベンチの前で横になっていたのも覚えている。周りが静かになって、僕が腕を頭の上に伸ばしたときに、弾けるのを感じた。脚が震え始め、感覚もなくなっていった。歩くことはできたんだ。実際に立ち上がって歩いた。だから当初は困惑したんだ。「何かが起きたのはわかるけど、とりあえず歩けそうだ」と思っていた。でも周りからは「ACL(前十字じん帯)を断裂しても歩くことはできる」と言われた。ACLを断裂しても歩ける? 嘘だ!

 「ACL」。選手として聞きたくない言葉のひとつだ。これはバスケでは常に耳にすることだ。最悪のケースだと。リーグでも「ACL断裂だけは避けたい」とよく言われていた。半月板の方が幾分かマシだと聞く。ACLは離脱時間がより長くなる。

 とにかくACLじゃないことを祈りながら病院に行ったのを覚えている。「膝の怪我だけは勘弁だ」。病院に着くとみんな来ていた。泣きながら、重症じゃないことを祈りながらMRIを受けた。そして終わると、ブライアン・コール先生(執刀医)とスタッフが伝えるべきか迷っているのが分かったのだが、結局彼らから伝えられた。そこで僕の人生は変わった。
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