連載:プロ野球・最強助っ人白書2021

最強の中継ぎ左腕・モイネロの矜持「今が自分の限界とは思わない」

田尻耕太郎
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昨季は自身初となる最優秀中継ぎのタイトルを獲得したモイネロ。最強リリーバーはどのように形作られたのか、インタビューを行った 【写真は共同】

 昨季は50試合に登板し、38ホールドで初の最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。防御率1.69、奪三振率14.44という圧巻の成績を残し、巨人との日本シリーズでも強烈なインパクトを残した、福岡ソフトバンクのリバン・モイネロ投手。堂々たるマウンドさばきに風格すら漂い始めた25歳の中継ぎ左腕に、これまでのキャリアを振り返ってもらった。

キューバでのオフの過ごし方

――まずはオフシーズン。新型コロナウイルスの影響で例年とは違った過ごし方になったのでは?

 2月に日本に戻ってきましたが、2週間自宅待機をしなければならなかったのもそうですし、キューバに帰国中も外出するのは難しかったです。いつもなら海に行ったり、森に出かけて眺めの良いところでリラックスをしたりしていたけど、それも思うようにはできませんでした。

――自然が好きなんですか?

 はい。眺めの良いところやたくさんの木に囲まれて過ごすのが好きで、(キューバの)丘の上の方に家を建てました。いわゆる観光地のようなところにあって、気候もいいし空気もきれいで静かなところです。

――モイネロ投手は例年、キューバ帰国中も同地のリーグでプレーしています。

 キューバではこのオフもプレーしました。数試合の登板でしたが、そのための練習をする必要はあったので、コロナ禍以外の過ごし方はいつもと同じでした。日本とキューバの両方でプレーをするのは簡単ではありません。だけど、どちらも欠かせないこと。どんな風にすれば日本でもキューバでもしっかり投げられるか、それは常に考えています。

――昨年はソフトバンクで50試合に登板して、初タイトルとなる38ホールド。防御率1.69、奪三振率14.44でした。この成績をどう見ますか?

 これだけの成績を残せた要因としては、キューバにいる時からしっかりとした準備ができたことが挙げられます。日本に戻ってきたのも2月上旬と早かったので、春季キャンプでもいい準備ができました。また、投球フォームのバランスやコントロールを強く意識して、修正したり向上させたりする努力をしました。そこを注意しながら投げ続けられたことで、手応えを感じることができました。

本格的に野球を始めて数年後には代表へ

キューバ代表でも重要な役割を担うモイネロ(右)。2度のプレミア12出場に加え、17年のWBCでは東京ドームのマウンドにも立っている 【Getty Images】

――モイネロ投手は今年が来日5年目になります。これまでのキャリアを振り返ってもらいたいのですが、キューバで過ごした少年時代もとても興味深いです。そもそも、野球を始めたのが遅かったとか?

 本格的に始めたのは13歳から。その後プレーしていく中で、16、7歳の頃にキューバ代表の一員になりたい、もっと上の世界を目指したいと強く考えるようになりました。

――野球を始めたきっかけは?
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著者プロフィール

 1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月独立。その後もホークスを中心に九州・福岡を拠点に活動し、『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『週刊現代』(講談社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルメディアともライター契約している。2011年に川崎宗則選手のホークス時代の軌跡をつづった『チェ スト〜Kawasaki Style Best』を出版。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、格闘家、ゴルファーらが参加する自主トレのサポートをライフワークで行っている。

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