コロナ禍の特別な大会を制した山梨学院 様々な制限を乗り越えた「選手権」の力

平野貴也

99回の歴史が生んだ、決勝戦の“熱気”

山梨学院の長谷川監督「この大会は短期決戦。プレースタイルは大きくは変わらない。分析がしやすく(対策)できることが多い」 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 ただ、観衆の反応による作用がない環境が、ベンチワークの発揮に役立っていた印象はある。組織的な守備で勝ち上がった山梨学院は、最たる例と言える。長谷川監督が「この大会は短期決戦。プレースタイルは大きくは変わらない。分析がしやすく(対策)できることが多い」と話したとおり、要所で作戦勝ちを収めた。決勝戦では青森山田のDF藤原優大にマンマークを付ける奇策で相手の攻撃の起点を潰して力を削いだ。

 準々決勝では、プロ内定4人を擁して中央の密集からサイドアタックにつなげる昌平(埼玉)に対し、中央を封鎖しつつサイド裏を突き続ける反撃で相手のサイド攻撃のスタート地点を下げさせるプランを実行して完封勝利。青森山田や昌平といった優勝候補を撃破しての優勝という見事な結果を残した。都道府県大会をいくつか取材した中では、コロナ禍の活動制限によってチームの仕上がりが全体的に遅れているため、力量差が小さく、番狂わせが起きやすい印象を受けていたが、全国大会ではベンチワークを含む組織力を持つ実力校が順当に勝ち上がった。

 その中で感じたことは、だから山梨学院が勝ち上がれた、という話ではない(的確な分析による堅守で勝ち上がった山梨学院だが、大会中に勢いに乗り、爆発的な得点力も兼ね備えて勝ち上がった可能性も当然ある)。例年の高校選手権が、いかに多くの観客によって大きな影響を受ける中で試合をしているのかを、今大会との違いから痛感したということだ。観客の存在の大きさは、いなくなったことでより強く感じられるものだった。

 周りが騒ぎすぎるから、選手が本来の力を発揮できないという、この大会に時々もたらされる指摘は、おそらく正しいのだ。しかし、決勝戦の延長戦を見ていると、それだけが正しいことだとは思えなかった。この大会にずっと漂っていた無観客開催ならではの独特の雰囲気が消し飛ばされ、誰もいないスタジアムが熱気に包まれていたからだ。そこで感じたのは、コロナ禍による様々な制限を乗り越えた「選手権」の力だった。この大会の開催に多くの人が尽力し、無観客にもかかわらず、熱量を失わずに選手が戦えたのは、大観衆の注目を集めながら99回を刻んだ歴史によるものだろう。過去のいくつもの戦いに、多くの人が刺激を受け、憧れてきた舞台だからこそ、選手はコロナ禍でもこの大会を目指して努力を継続し、それを発揮する舞台を整える人たちに恵まれた。
 勝ち上がったチームばかりが、その恩恵を受けたわけではない。初戦で京都橘(京都)に0-6という大敗を喫した松本国際(長野)の勝沢勝監督は「京都橘は(J内定選手がいて)優勝候補だったし、そういうチームとやるという目標設定をしてから、選手がすごく成長した。もうちょっと苦しめたかったけど、良い対戦相手とやれたことは嬉しく思います」と話していた。

 2年連続のベスト4となった帝京長岡(新潟)の古沢徹監督は、この大会での選手の成長について「ほかの試合の何十試合分にも相当する」と互いが総力を引き出される舞台の特性を認めていた。多くの注目を集め、誰もが憧れる夢舞台だからこそ持っている魅力がある。

 無観客での開催は残念で、その影響はなかったとは言えない。それでも、すべてのチームが長年続いてきた「選手権らしさ」を失わずに戦い抜いた姿は、コロナ禍で競技や大会の存在意義が揺らぐ中、夢や目標が生み出す、エネルギーのスパイラルを再確認させてくれるものだった。活動を制限されても、観衆の声が聞こえなくても、人を熱く魅了する試合を見せてくれた選手、チーム関係者の姿はきっと、次の世代の力になっていく。その価値は、いつか観客の姿が戻ったとき、より一層大きく感じられるに違いない。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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