“トランポリンの聖地”で育った石川和 パリ五輪へ、新天地で「足元を固め直す」

折山淑美

全日本2位の実力者は、世界で厳しさを学んだ

全日本選手権で2位となった経験を持つ石川。将来が楽しみな存在だ 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 金沢学院大の4年生で、4年後のパリ五輪出場を目指している石川和。大学2年だった18年全日本選手権は、個人ではベテランの上山容弘に次いで2位になり、大学の同期である中園貴登と組んだシンクロでも2位。まだ目標にしている世界選手権出場は果たせていないが、昨年12月の世界年齢別競技会では、予選3位通過でメダルが見える位置につけながら、決勝ではミスをして6位と悔しい思いも経験した。

「全日本で2位になった時は、練習でも1週間前くらいから今までにないくらいに調子がよく、大会でも『絶対に大丈夫だ』と自信を持てていました。でも僕の場合は、試合に合わせてピーキングを作るというところはまだ定まっていなくて、探り探りというところもあるので……。ただ、昨年の世界年齢別は決勝の最後の着地で失敗して。本当に油断でした。あの時は10本目の技の回転を終えた瞬間に『終わった』と思って安心したら、着地でバーンと飛ばされて。やっている途中でも確実にメダルを獲れると思っていたし、高校時代は失敗も少なかったので、あの失敗はかなりショックでした」

 優勝したのは、地元・石川のライバルクラブでもある星稜クラブの上野隼輔だった。「今までで1番か2番くらいに悔しかったですね」と石川は言う。

 10本の技を通してやる演技時間は20秒前後。緊張する中で1000分の1秒でも気を抜いてはいけないというこの競技の基本ともいえる厳しさを、世界の名称がつく大会で、しかもメダルが見えた中で経験できたのは、石川にとって大きな財産になるかもしれない。

名門で腕を磨くも、現在の課題は「ピーキング」

「物心ついたころからトランポリンを跳んでいた」と、幼い頃から競技に熱中していたという 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 トランポリン競技が全国に普及する原点となった石川県は、過去に多くの五輪出場選手を輩出している。普及の旗振り役となった塩野尚文氏が金沢学院大の教授になって指導を始めた金沢学院大クラブからは、トランポリンが五輪の正式競技になった2000年のシドニー五輪に、中田大輔と古章子(現姓は丸山。現・金沢学院大クラブ監督)を送り出した。その後は、12年ロンドン五輪には大学院2年だった伊藤正樹と、大学2年の岸彩乃が出場し、続く16年リオデジャネイロ五輪も伊藤が連続出場した。

 生まれ育った茨城県稲敷市で、5歳からトランポリンを始めたという石川。「物心がついたらもう跳んでいた」という中で、他の人がやっていない競技をやっているということや、動画を見せると友達が驚いてくれることに喜びを感じてハマっていった。

 当時はまだ、金沢学院大クラブは強い選手がいる強豪クラブというイメージしかなかった。「将来は五輪に出る」とは口にしていたもの、まだまだ楽しんでいる段階だったのだ。だが中学2年の時、同じクラブで練習している友達が「高校は金沢学院高校に行ってみようと思う」というのを聞いて、「どんな選手がいるんだろう。どんな練習をしているんだろう」と興味が湧いた。

「それで中学2年の時にオープンキャンパスに行ったら、環境もいいしチームメイトが助け合ってやっているのをすごく感じて。トップレベルの選手も多いので、すごく惹かれました。岸大貴選手や、島田諒太選手という世界選手権やワールドカップに出ている選手もいたし、高校でも自分よりレベルの高い選手もいて。茨城のクラブでは自分より強い選手がいなかったので、『強い選手と一緒に練習をしたらどうなるんだろう。どのくらい成長するんだろう』という気持ちになりました」

 金沢に行って最初に驚いたのは指導法だったという。茨城ではコーチに言われるままに練習していたが、金沢学院大クラブでは自分で考えさせることを重視していた。自分の演技を振り返り、今の演技はどうなっていたのかを考えさせる。そうした流れの中で、自分の体のどこを意識するのか、1つ1つの筋肉をどう動かせばいいのかというのを感覚として学んだ。

「選手の人数が多いので、トランポリンを跳ぶ練習自体は茨城の時よりは少し減ったけど、それ以外のトレーニングに関しては内容が濃いですね。僕は高校に入った時はヒョロヒョロでトレーニングも全然していなかったから、毎日へとへとになって寮に帰っていました。トランポリンの場合は下半身と体幹の筋力が必要だけど、特に体幹のトレーニングは地味にきついというか……。普通のウエイトトレーニングだとウエイトの重さで自分がどこまでいっているか分かりますが、体幹の場合はその目安がないのでそこがつらかったですね」

 実力的には、日本のトップで戦えるまでに達している自信はある。現在の課題は試合へ向けての調整能力だが、そればかりは他の選手を参考にするのは難しいという。

「女子も含め、クラブの強い選手を見るとみんなバラバラなんです。僕の同期の(ピーキングが)上手な選手でも、試合の3日前なのに10本通してやるくらいがいいという人もいれば、1本通せばもう十分という人もいて、みんな違うので。やはり自分のやり方を見つけるのはすごく大変だと思います」

 空中での感覚や筋肉の使い方だけではなく、大きく沈むトランポリンの反動をうまく使って高さも出さなければいけないこの競技は、本当に微妙な時間内でのタイミングやバランス、力の使い方などを追及しなければいけない競技だ。だからこそ努力が必要なのはもちろんだが、その前提として類まれな資質やセンスが必要になる。そんな才能を持つ者たちが集う競技だからこそ、それぞれの競技感覚や、調整方法の違いという難しさもあるのだろう。

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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