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怪物マシンをねじ伏せたセナ、プロストら
90年代F1ドライバーに魅了される理由

世界中を魅了し続ける80年代後半〜90年代

数々のエピソードを残し、94年のサンマリノGPで命を落としたセナ。日本のF1文化にも多大の功績を残した
数々のエピソードを残し、94年のサンマリノGPで命を落としたセナ。日本のF1文化にも多大の功績を残した【写真:Shutterstock/アフロ】

 1980年代後半から90年代のF1は、今も世界中の多くのファンを魅了している年代だと言える。日本のファンにとっては、87年からF1中継が開始され、本格的にF1を観ることができるようになった時代に、ホンダ・エンジンを搭載したマシンが活躍したことも、それを後押ししただろう。


 アイルトン・セナやアラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケといった“F1四天王”が活躍し、中嶋悟が日本人として初めてフル参戦したこの時代のドライバーたちが魅力的に見えるのは、彼らがどんなドライバーなのか、マシンに乗っていてもその走りから分かりやすく見えてきたからではないだろうか。

 3度のチャンピオンを獲得したセナは、カリスマ性すら感じさせる速さでファンの心を惹きつけてやまない存在だった。8戦連続のポールポジション獲得は、いまだ破られていない記録である。


 コーナーでアクセルを小刻みにコントロールする、“セナ足”と呼ばれる独特のアクセルワークは、理屈では説明できない驚異のテクニックであり、彼のチームメートたちもまねできない代物であった。こうしたエピソードも、セナというドライバーをより特別な存在にしていた要素のひとつだったように思う。


 しかもセナは、87〜92年の6年間にわたってホンダ・エンジンを搭載したマシンを走らせた。まさにホンダを背負う存在だったとも言える。日本のテレビ番組やCMにも多数出演したセナは、モータースポーツファンだけでなく、お茶の間でもアイドル的な存在となった。94年のサンマリノGPでこの世を去ってからも、多くのファンにとって特別なドライバーであり続けている。

個性に溢れるドライバーとマシン

日本人F1ドライバーのパイオニア、中嶋悟。日本人ドライバーの未来を切り拓いた
日本人F1ドライバーのパイオニア、中嶋悟。日本人ドライバーの未来を切り拓いた【写真:アフロ】

“プロフェッサー”とも呼ばれたプロストは、スムーズなドライビングでタイヤに優しい走りを得意としていた。派手には見えないものの、玄人好みのする走りに注目していたファンも多かったのではなかろうか。


 一方で、マクラーレン・ホンダでチームメートだったセナとプロストは激しいバトルを繰り広げ、“セナ・プロ対決”を世界中のファンが注目した。ふたりの一挙手一投足からファンは目を離すことができなかった。


 ライバルを倒すため、高い熱量でレースに臨んでいたふたり。その関係は修復ができないほど悪化し、タイトル争いの佳境である日本GP(89〜90年)では2年連続で接触。数々の物議を醸したが、ドライバーとして譲れない想いが交錯した結果だったと言えるだろう。


 マンセルは豪快かつ大胆なドライビングスタイルと、喜怒哀楽がはっきりとした人柄の“愛されキャラ”だった。かつては公式ファンクラブも存在し、イギリスの他に日本にも支部があったほどだ。


 チャンピオンまであと一歩に迫りながらも、トラブルや自らのミスでチャンスを逃し、“無冠の帝王”と称され、本人もそれを気に入っていたという。しかし92年にはアクティブサスペンションを備えたウイリアムズFW14Bを完璧に操り、キャリア唯一のチャンピオンに輝いた。この年のモナコGPで、セナと繰り広げたバトルは今もファンの語り草となっている。


 日本人初のフル参戦F1ドライバーとなった中嶋は、87年にロータス・ホンダからデビュー。日本にF1ブームを巻き起こした。日本国内の各選手権で活躍していたころから雨のレースを得意とし、ファンから「雨のナカジマ」と呼ばれていた彼は、激しい雨に見舞われた89年最終戦オーストラリアGPで躍動。最下位から4位まで追い上げ、そのスキルの高さを証明し、日本人ドライバーの未来を切り拓いた。彼の後に続いた鈴木亜久里や片山右京らも、時折輝く走りを披露。90年の日本GPで鈴木が表彰台に登ったのは、そのハイライトである。


 また、この時代のF1マシンも実に個性に溢れ魅力的だった。エンジンもV8やV10、V12エンジンなどさまざま。ハイノーズをはじめとする個性的かつ、現代マシンにも通じるエアロダイナミクスや、アクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテク技術が進化していった。


 ハイテク化され始め、加速度的に速さを増す“怪物”マシンたちを、個性豊かなドライバーたちがねじ伏せていく。それがこの時代のF1の大きな魅力だったと言えるのではないだろうか。

motorsport.com 日本版

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