連載:闘魂60周年記念、アントニオ猪木が語る3つのターニングポイント

湾岸戦争直前にイラクへ単身で乗り込み 猪木は誰もできなかった人質解放を実現

茂田浩司

国会議員・猪木の理念

人質解放に成功し、みんなで「1、2、3、ダー!」のポーズ。猪木が動かなければ、多くの日本人が犠牲になっていたかもしれない 【写真提供:Essei Hara】

――そして90年12月にイラクで「スポーツと平和の祭典」を開催。「まず一人で飛び込む」という行動力に驚かされます。

 だって誰も行く人がいないんだもん(苦笑)。日本人だけじゃなくて外国人も誰もイラクに行かない。国会議員のやることは、国会で手を挙げて採決に加わるだけじゃないでしょう。俺の理念として「国会議員はそういうものだ」と思ってたんで、誰も(人質救出という)大役をやらないから「俺が行くしかないじゃん」と。

――イラク側の窓口になったウダイ氏といえば有名な暴君。猪木さんに対して何か失礼な言動はなかったですか。

 全然。紳士でしたし、ちゃんと話し合いが出来てよかったですよ。2回目に行った時は、奥さん方の中に3歳の子どもがいる人がいて、写真を見せてね。「今、この子に一番必要なのは父親です」と涙ながらに訴えたんです。

 そうしたら涙は流さなかったけど、目がうるんだ感じでね。その時はそんな悪い人間だと思ってないから「いい人だな」と。

――そして人質解放に成功しました。日本に帰国した時の周囲の反応は?

 おそらく空港始まって以来の大勢の人たちが待っていて。その時に普通は「やりましたよ!」って出ていくんでしょうけど。俺は最後に出て、マスコミのみんなの前に出たんです。計算したわけじゃないけど、一つの仕事ができて、だからってそれで胸を張る必要もないんでね。

 だけど、社会の仕組みはしょうがないな。俺も会いたいし、みんなも俺に会いたいらしいんだけど、会社に戻って、勤めなければいけなくて、今度は会社に遠慮しなければいけないからね。

――イラクで苦労をともにした方々と再会できたらいいですね。

(企画構成:有限会社ライトハウス)

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