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闘魂60周年記念、アントニオ猪木が語る3つのターニングポイント
湾岸戦争直前にイラクへ単身で乗り込み
猪木は誰もできなかった人質解放を実現

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戦争目前のイラクに乗り込み、アントニオ猪木は平和的解決を訴えた
戦争目前のイラクに乗り込み、アントニオ猪木は平和的解決を訴えた【写真提供:Essei Hara】

 今年でデビュー60周年を迎えたアントニオ猪木が、3つのターニングポイントを振り返る本企画。連載3回目は、湾岸戦争直前、人質となった日本人を助けるために単身でイラクへ乗り込んだ顛末(てんまつ)をお届けする。不可能を可能にするのが、まさに猪木イズム。政界でも、それは同じだった。

ただ走ることに一生懸命だったからね

――デビュー60周年を振り返り、猪木さんに思い出深い国や出来事を3つ挙げていただきましたが、2つ目はイラクです。


(編集注:1990年、サダム・フセイン大統領(当時)のイラクがクウェートに侵攻。国連の制裁措置を受けたイラクはクウェートにいた日本人をイラクに連行した。政府間の人質解放交渉が難航する中、国会議員として独自の「猪木外交」を行っていた猪木氏が動いた。)


――当時の資料を読むと、人質救出へ向かう猪木さんに外務省からの妨害があったようですね。


 妨害されていたなんて、その時は気がついてなくて、後で分かったんですよ(苦笑)。そんなことに気を遣っている暇はないし、ただ走ることに一生懸命だったからね。各企業が(人質になった人の)奥さん方に「今回は(救出に)参加しないように」とかFAXを入れていたと聞いたよ。


――おそらく外務省から「猪木に協力しないように」とお達しがあったのではないかと推察されています。あまりにも危険なので渡航抑制は仕方がない処置とも言えますが。


 俺が国会議員になったばかりの頃、キューバへ行って、カストロさん(フィデル・カストロ議長)と話す機会がありました。その時にイラクの話題になって「ここは平和的な解決が一番だよね」と言われたんです。その言葉が印象的でね。日本は被爆国でもあるし、「もっと積極的に平和活動」をと俺は思ったんで、帰国後に金丸(信)さんと話をしました。もともとイラクは、日本びいきでしたからね。戦争に発展するのではなく、平和的な解決の道があるのではないかと思っていましたので。


――なるほど。ただ「こっちは一年生議員、向こうは国を動かす大物政治家だ。話は聞いてくれたが、子供扱いされても仕方ない」(『アントニオ猪木自伝』:新潮社)と著書で証言されていますね。そこで猪木さんは単身、イラクへ乗り込んだと。


 まあ、行くまでは俺もどうなるか分からないから。最初に行った時、みんなは「人質解放」から入るんだけど、そうじゃなくて「友好」をテーマとしていました。当然、それは「平和的に解決することにつながる」わけですからね。そしてイラクからは、(マハディ・)サレハ議長が出てきて、熱心に話を聞いてくれましたよ。


――さすがです。


 イラクにはヨルダンから入るんです。ヨルダンからは他の航空会社は入れませんから、イラクの飛行機で入って。イラクに着いたら、みんな、マスコミやなんかもホテルで缶詰めになっているんです。


 それで、イラクに着いた日に「猪木がイラクに来た」と向こうのテレビで報道されて、翌日、いつものようにランニングをしにホテルを出たんですよ。当時はまだ現役をやってましたから、ランニングだけは欠かせないんで。


 ホテルの周辺は結構、距離があったんだけど走っていたら、テレビで俺がイラクに来てると知ってるから、みんなが俺を見て、笑顔でクラクションを鳴らして合図してくるんですよ(笑)。


――戦争まで発展するかという国際的な緊張が高まる中、民間外交もされていたんですね(笑)。


 ホテルに戻るといろんな人が訪ねてきて、いろんなところを案内してくれました。本屋に行ったら、あれは誰の本だったかな。本を眺めていたらお茶を出してくれたり、いろいろと、もてなしてくれて。その後は向こうの新聞社が来てインタビューに答えたりしましたね。


――やはり「猪木」さんのネームバリューは、イラクでも絶大なんですね。


 そうしたら、午後から向こうの要人と会見することになって。その時にサレハさん(議長)と会見をしましたね。

茂田浩司

スポナビDo

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