10年以上前に作られた“田澤ルール” 上原氏も疑問、時代に沿う新制度の必要性
08年に作られた田澤ルール
田澤は08年の都市対抗野球でMVPにあたる橋戸賞に輝き、ドラフト1位指名が確実視されていたが、海外挑戦を決意 【写真は共同】
その時に生まれたのが“田澤ルール”で、アマ選手がドラフトやNPB入りを拒否して海外球団と契約した場合、海外球団を退団後、大卒と社会人選手は2年間、高卒選手は3年間、NPB球団と契約できないという制度のこと。2008年に田澤がメジャー行きを表明し、NPBのドラフト指名を拒否してレッドソックスと契約した際に、12球団の申し合わせで作ったルールだ。
田澤以外では、18年に社会人のパナソニックからアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ吉川峻平投手のみ、このルールが現在適用されている。アマ選手の海外流出に歯止めをかけるために作られた制度だが、施行後12年間で吉川の1例のみということで、このルールが抑止力として機能していると言えそうだ。
田澤「ルールがなくなってくれればいいなと」
12年のドラフト前、花巻東高校の大谷翔平がメジャー希望を公言した際に、12球団の代表者会議で田澤ルールについて討議されたことがあったが、その後は話題にならず、現在に至っている。サッカーやバスケットボールなど、若く才能がある選手が続々と世界の舞台で活躍するようになった現在、この“田澤ルール”は本当に日本球界のためになるものなのか。上原の本音とも言えそうな意見は、決して軽いものではない。