連載:生涯現役という生き方

武藤敬司が考えるアレンジの重要性 シャイニング・ウィザードとの出会い

武藤敬司
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第4回

武藤の有名な必殺技であるシャイニング・ウィザードは理詰めで考えられたのではなく、ちょっとした閃きから生まれた 【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】

 ことプロレスにおいては、人間がやれる能力以上のものが出尽くしてる気がする。技の動きも試合の組み立て方にしても。色んなネタを振りまいたのは俺らの世代だ。俺らはパイオニアで、それまでの前例がなかったから夢中だった。
 今の新日本の試合を観ても、みんな俺のコピーなんじゃないかと思っちゃう(笑)。若い世代は色んなものを映像なんかで観て知ってるから、過去のものを組み合わせるのが上手いのかもしれない。
 要するに今はアレンジメントの時代だ。
 それはプロレスに限らず、あらゆる分野のアート表現に共通した傾向のように思う。
 それ自体は悪いことだって思わないし、そうなると若い世代の場合は、元ネタのセンスが問われていく。どこからアイデアを引っ張ってきたか、その辺の知恵比べが生まれてくるよね。
 ただ若い奴ら、ちょっと考えすぎ、真面目すぎと感じる時が多いよ。何かサプライズが足りない。もう少し、いい加減でもいいのにさ。
 そういった生真面目さって体の作り方にも反映されているみたいだ。
 練習の後のチャンコがさ、今は不味いんだ。
「肉は鳥のささみしか入れません」なんて徹底ぶりだから。米も玄米を食べるとかでパサパサで......。レスラーはコレステロール大好きでいいんだよ(笑)。じゃないと、どんどん小型化していっちゃうよ。

とっさの閃きから生まれた必殺技

 プロレスは、とっさの閃きの方が上手くいく世界だと思うけどな。俺の得意技なんて大体みんなそうだから。ムーンサルト・プレスって要するにバク転じゃない。バク転は俺、子供の頃からできたし、同級生に大受けだったのが嬉しくて、ここまで来ちゃったようなもの。
 プロレスの世界では、そういう運動神経を見せるべきだと思ってた。
 当時の新日本の若手は「派手なことしちゃダメだ」と言われてた。でも入門して間もなくして先輩達がごっそりいなくなっちゃった。すると目を光らせる人がいなくなるから、若手の俺らは自由に技を使えるようになった。だからムーンサルトを出せたんだよ。今みたいに飛び技を練習する安全マットなんてないからね。練習なんかしてない。「できるはずだ」と自分を信じて試合の本番一発だったよ。

 1984年10月にデビューして、翌年の頭にヤングライオン杯があった。どこか目立たないとダメだよな、と考えてツルッパゲにして出ていった。星野さんにすごく怒られたけど(笑)。そのヤングライオン杯で早速ムーンサルトを出してるから、生意気な若手選手ではあったよね。
 シャイニング・ウィザードも考えすぎずに出た技だった。
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著者プロフィール

1962年生まれ。山梨県富士吉田市出身。山梨県立富士河口湖高等学校卒業。高校卒業後は、東北柔道専門学校(現・学校法人東北柔専仙台接骨医療専門学校)に進学。柔道整復師の資格を取得するとともに、柔道で全日本ジュニア体重別選手権大会95kg以下級3位となる。21歳で新日本プロレス入門、1995年、第17代IWGPヘビー級王者となる。2002年、全日本プロレス入団、同年10月には社長に就任。2013年同団体を退団し、WRESTLE‐1を運営するGENスポーツエンターテインメント代表取締役社長となる(2020年4月、WRESTLE‐1は活動休止)。

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