新日本のトップを目指していなかった? 蝶野正洋がヒールに転向した理由
第10回
プロレス界に一大ブームを巻き起こしたヒールユニット「nWo JAPAN」。リーダーとしてユニットをけん引した蝶野はどのような思いでヒールへの道を進んだのか 【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】
それよりも、その道が自分に合っているかどうか、その方が何倍も大事だ。
俺は1994年8月に、反体制側に回って、それから1997年、nWo JAPAN一派を結成。以降は、TEAM2000やブラック・ニュージャパンという勢力で戦ってきた。でも、ありきたりで薄っぺらなヒール(悪役)という意識ではなかった。俺たちは、「野党」だという気持ちがあったんだ。
でも、勘違いしないでほしいのは、「いつか政権を奪取してやる!」と思って戦っていたわけでもないってこと。今だから言えるんだけどさ。
最近、政治を見てても思うんだけど、与党というのは、「こうあるべきだ」というものを提唱していくよね。俺の考えでは、そこにある間違いを指摘していく奴が野党なんだ。そして、俺らは新日本プロレス時代に、そういう立場だったと思う。
心臓をのっとる気はない。だって、もしそうするなら、与党側に入った方がスムーズにいくからね。そこで、のし上がっていけばいい。
そうじゃなくて、与党の間違いについて訴えていく。それが、俺が90年代半ばから選んだ生き方だった。プロレスという仕事においてね。
「えっ新日本でトップになる気なかったんですか」と聞かれたら、ズバリ言って、「はい」と答えるしかないね。
俺の経験上、必ずしも一番上を目指すことが、仕事において正解ではないということは伝えておきたいんだ。
野党になるのも、意義ある仕事
新日本の場合、与党のトップがIWGPチャンピオンということになっている。指標としてそれがあるのはわかりやすい。つまり新日本のトップ像だよね。そして、少なくとも俺らの時代、その象徴はアントニオ猪木さんだった。新日本の創設者だし、それはファンも含め、みんながわかっていた。だから、トップの人たちは、みんな猪木さんになろうとした。
たとえ本人の意識がそうじゃなくとも、ファンやマスコミを含め、周りがそう見てしまう。「こいつは猪木と比べてどうなんだ」と。
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