連載:生涯現役という生き方

蝶野正洋が社会活動を続ける意義 「客寄せパンダになりますよ」

蝶野正洋
アプリ限定

第9回

AEDの啓蒙活動に積極的な蝶野。闘魂三銃士の盟友である橋本真也氏やNOAHの三沢光晴氏が亡くなったことが、人命救助に意識を向くきっかけとなった 【Photo by New Japan Pro-Wrestling/Getty Images Sport】

 プロレスというのは、上質なエンターテインメントだと思う。相手の技を受けて、自分もそれを返して行く。競技スポーツ以上に進化した、闘争心の表現だと思うよ。
 だけど、そんな俺が、一時、自信をなくしてしまった出来事があった。それが、2011年3月11日の、東日本大震災だったんだ。
 みんなも映像とかで見たと思うけど、俺も非常にショックだった。もちろん、何かをしたいと思った。それは、やっぱり、プロレスラーとして。でも、そこで不意に気持ちが立ち止まってしまった。今、必要なのは、プロレスじゃない。食べ物なり、住む場所なり、生活のベースじゃないかって。
 この出来事に落ち込んだと言わなければ、嘘になる。自分たちのやっている興行やイベントなりエンターテインメントは、生活の基盤があってから、ようやく成立するものなんだって気づいたんだね。それがなければ、何の役にも立たないんだなあと思ってしまってね。
 プロレス以外でも、音楽や映画など、エンターテインメントに携わってる人たち、もっと言えば、主要産業でない方々は、みんな同じことを思ったんじゃないかな。
「これまで自分のやってきたことに、意味なんてあったんだろうか?」って。
 少なくとも俺は、そのくらい落ち込んでいたんだ。
 猪木さんから連絡があったのは、そんな時だった。一緒に被災地を訪問しようと言われた。そして、2011年4月5日、俺も被災地となった福島県と宮城県を訪れたんだ。

震災で知った、プロレスの真価

 その時まだ、俺の心の奥底では、マイナスの気持ちがあったと思う。プロレスに対する懐疑、プロレスラーであることの疑義……。
 だけど、そんな俺の感情を変えてくれたのは、他でもない、被災地の避難所の体育館で暮らす方々だったんだ。
「蝶野さん!よく来てくれました」「来てくれて、勇気が出ました」……。

 その時、気づいたんだよ。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1963年生まれ。2歳までアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで過ごし、東京都三鷹市で育つ。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、武藤敬司戦でデビュー(武藤にとってもデビュー戦)。1991年、第1回G1クライマックスで優勝し、その後V5達成。1992年、第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にはnWoJAPAN設立し一大ムーブメントを起こす。1998年IWGPヘビー級王座獲得。2010年2月に新日本プロレスを離れ、それ以降フリーランスとして活動。1999年12月にはオリジナルブランド「アリストトリスト」を設立し、代表取締役を務める。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント