蝶野正洋、黒ファッションの発案者は? 夫婦でゆっくり話した大金の使い方
第8回
今では蝶野=黒のイメージが定着しているが、最初はファッション好きの奥さん・マルティーナさんの発案だった 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】
そのお金をどんな風に使えば、自分の人生に生かすことができるだろう。誰もが考えることかもしれないが俺なりにこの疑問に対して、答えを考えてみようと思う。
岐阜の治療院で首の治療を受けて、少し回復のメドが立ち、これならリングに復帰できるかも、といういい予感を受け取っていた時のこと。
以前から俺がほしかったのは、ベンツの高級車。なかでもSクラスがほしくて。長らく憧れていたものだった。
ちょうど手元には1000万円ほどの自由に使えるお金があった。
車一台買うのにちょうどいいくらいの金額。また、カミさんのマルティーナも俺の怪我、治療、復帰の過程を見てきたから、好きな車を買うことを勧めてくれた。
ただ首の治療について、マルティーナには本当に心配をかけてたし、感謝もしたかった。ウチにはその頃子供もいなかったから、レスラーの妻とは別にマルティーナの今後の人生についても考えてあげたかった。
今ベンツを買うか。それとも目の前の1000万円を元手に次の人生の準備をすべきか。二人でゆっくり話し合った。
悩んだ末に出した答え
それが、今俺がやっている「アリストトリスト」というアパレル・ブランドの設立につながるのだけど、最初はそこまで具体的なものじゃなかったんだ。
そろそろ四十代を迎える夫婦が協力してできる仕事は何だろう。
試合でいつまた首の怪我が再発するか分からない時限爆弾を抱えてるようなものだから、できるだけプロレス以外の仕事にしようって。
マルティーナはファッションがすごく好きだった。
1980〜1990年代にアメリカに行くと、どこでも手に入るようなファスト・ファッションの服を着ている人が増えていくのが分かった。でも彼女はそうじゃなくて、有名無名を問わずオリジナリティーの出せるお洒落なブランドの洋服を探して身に付けていた。しかし悩みがあって、マルティーナは体が大きい。当時の日本では洋服が見つからなかった。ファッションのバリエーションが保てなくて、日本では楽しみが何もなくなっていた。
マルティーナはドイツから花嫁道具の古いミシンを持ちこんでいて、そのミシンを使って自分の服を作ろうとした。でもミシンは日本の規格では使えなかったから日本製のミシンを買おうということになったんだ。
それが自然な形で、アパレル・ブランドを思いつくきっかけになっていった。
黒のカリスマの誕生
あの頃、俺はアメリカのWCWという団体に参戦する機会が多かった。そこにマルティーナも連れていった。バックステージで、色んな選手のファッションを眺めていた。当時アメリカのマット界も、リック・フレアーのようなゴージャスなガウンを纏(まと)うというファッションが時代遅れになってきて、レスラーはTシャツ姿でリングに上がるのが流行とされていた。
「でも全員がTシャツというのも、カジュアルすぎてあまりカッコ良くないよな」
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