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蝶野正洋、首の怪我から見えてきたこと
弱点と向き合うことで新しい自分を発見

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第7回

長期休養となった首の怪我がきっかけで、今後の自分の人生を考えることが増えたという蝶野
長期休養となった首の怪我がきっかけで、今後の自分の人生を考えることが増えたという蝶野【Photo by Etsuo Hara/Getty Images】

 こんな俺もレスラー生活を続けるうちに少しずつ古傷が悪化して、いつのまにか怪我と共に生きるような辛い人生が始まっていた。

 俺の場合、致命傷は首の怪我だった。それである時期、試合を長期欠場して首の治療に専念したことがある。リングを長らく留守にすることには不安があったけど、あそこでメンテナンスをやっておいて良かったと心底思っている。

 徹底して怪我の治療にあたることは、目の前の不安を消すこと。心配事がひとつ減ると、気分が明るくなる。すると思いがけなく将来の展望も見えてくるものだ。


 スポーツマンにとっての古傷とは、サラリーマンにとっての積年の疲労のようなもの。怪我や疲労の管理とケアはしっかりした方がいい。スポーツは怪我した時は休んだ方がいい。でも休んだら自分のポジションがなくなる。だから怪我をちゃんと管理しないまま、どんどん自分のパフォーマンスが下がっていってしまうことがある。特にサッカーや野球のようなチームスポーツだと、万全の状態じゃないとチーム全体に迷惑がかかってしまうため、調子が悪い時は出場にストップがかかる。

 その点、プロレスは個人競技。多少怪我をしても体が動くなら、テーピングしてでも出ていくもの。言い方を換えると、怪我を騙し騙しリングに上がっても、自分以外に誰もストップをかけてくれる人がいないんだ。


 だいたいリング上での評価が上がっていく時というのは自分でも無理してるんだよ。

 だからどこかで怪我をする。

 その無理を、現役中のどこかで点検して修理する必要があった。

 俺にとって、そんな時期は1998年に訪れた。35歳の時だった。

普通なら下半身不随の状態のなかで

 1998年9月、念願のIWGPヘビー級のベルトを初めて手に入れて、何も怖いものがないぐらいの自信に満ちていた。ところがその後のシリーズの開幕戦で最初の受け身を取ったら、今までに経験したことのない痺れが全身を襲った。そして、その恐怖心を隠したまま連戦を続けた。その結果、シリーズ前半の名古屋での試合後にタイツを脱ごうとしたら、小便を漏らしてしまった。四肢麻痺を起こしていた。自分の体を自分でコントロールできない。

 こりゃマズイと思って、その後の試合を欠場することにした。


 原因は、慢性的な頸椎椎間板(けいついついかんばん)ヘルニアの悪化だった。

 激しい試合を繰り返して、いつのまにか首にダメージが溜まっていた。

 脊椎の中には輪っかのような骨があって、普段はクッションの役目を果たしているが、その骨が潰れてしまって椎間板が炎症を起こしている状態。つまりヘルニア。

 検査をしてみたら、頸椎の変形と椎間板の3ヶ所にひどい炎症が見られ、医者の見立てによると、普通ならもう下半身不随の状態だったようだ。

 欠場や休場レベルの状況ではなく、即手術の廃業勧告だ。

 それでも、リングに戻ることが頭から離れず、レスラーを続けるため、本当に世界中のあらゆる治療法を探した。


 マサ(斎藤)さんに紹介されて、NFLミネソタ・バイキングスのドクターにも診てもらった。

「プロレスどうこうじゃない。今すぐ手術しないと日常生活すらできなくなる」

蝶野正洋

1963年生まれ。2歳までアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで過ごし、東京都三鷹市で育つ。1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、武藤敬司戦でデビュー(武藤にとってもデビュー戦)。1991年、第1回G1クライマックスで優勝し、その後V5達成。1992年、第75代NWAヘビー級王座を奪取。1996年にはnWoJAPAN設立し一大ムーブメントを起こす。1998年IWGPヘビー級王座獲得。2010年2月に新日本プロレスを離れ、それ以降フリーランスとして活動。1999年12月にはオリジナルブランド「アリストトリスト」を設立し、代表取締役を務める。

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