連載:欧州サッカーフリークが選ぶビッグクラブのマイベスト

名波浩が選ぶマイベスト・ACミラン 学生時代のサンシーロ観戦でミラニスタに

飯尾篤史
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名波浩が選ぶ「マイベスト・ACミラン」は? 【スポーツナビ】

 名波浩氏がミランと出会ったのは、アリゴ・サッキやファビオ・カペッロが監督を務めていた時代。それ以来、サンシーロは憧れの舞台となり、1999-00年にはベネツィアの一員として夢のピッチに足を踏み入れた。セリエA挑戦を終えたあともファン目線でミランを追いかけ、カルロ・アンチェロッティ監督時代のチャンピオンズリーグ決勝は手に汗握りながら、応援した。そんな日本を代表する希代のレフティが選んだマイベストミランとは?

バンバン炊かれる発煙筒に、ドスの利いた声

 高校時代、冬の全国高校サッカー選手権の優秀選手に選ばれて、高校選抜としてスイスのベリンツォーナ国際ユース大会に参加したんです。その合間にイタリアまでバスで行って、ミラノダービーを観戦させてもらって。

 たしか1-0でミランが勝ったと思うんだけど、試合内容はさておき、日本では考えられないような熱気、発煙筒がバンバンたかれて、サポーターのドスの利いた声が飛び交い、ドーベルマンを連れた警察官が大勢いる物々しさ。らせん階段を登ってスタンドに入るサンシーロの構造も含めて初めて見る世界で、そのときの衝撃たるや。

 大学3年のときにもイタリアに行って、そこでもミラノダービーを見たけど、添乗員の方に「ミランとインテル、両方のマフラーを首に巻いてください」と言われたのを覚えている。「どちらかのサポーターに絡まれないように」って(笑)。そのときもミランが勝ったけど、サンシーロで2度もミラノダービーを見たことが、ミランを好きになったきっかけですね。

 その後も、トヨタカップで来日したから親近感が湧いたし、なんといっても、おしゃれだったからね。やっているサッカーも、赤と黒のストライプのユニホームも、選手たちの立ち居振る舞いも。

 その頃のセリエAは世界最高峰リーグ。ミランのオランダトリオとか、ナポリのマラドーナとか、インテルのマテウスとか、スター選手がみんなイタリアでプレーしていた時代。のちに自分がそこでプレーするなんて、夢にも思わなかった。1999年にベネツィアに移籍した理由の10%くらいは、憧れのサンシーロでミランと対戦してみたいという気持ちがあったかな(笑)。

 僕がベネツィアでプレーした1999-00シーズンは、ミランの創立100周年だったんですよ。テレビで100周年記念の特番がやっていて、歴代のスターたちがパーティーに参加している様子が流れていた。言葉も分からないのに、1、2時間ずっとその番組を見ていたからね(笑)。

 99年11月にアウェーのミラン戦があって、僕は途中出場だったけど、憧れのサンシーロのピッチに立てて、うれしかったな。その時点で0-2と負けていて、ハーフウェイラインから相手陣内に少し入ったところでFKを獲得したんです。

 僕が蹴ったボールをミランがクリアして、ガチャガチャってなった後にシェフチェンコが抜け出して。負けていたからうちのDF陣はみんな上がっていて、残っていたのは僕ともうひとりだけ。ふたりともシェフチェンコに抜かれて、GKがシェフチェンコを倒して1発退場。PKを決められて0-3で負けたんです。

 でも、ホームのミラン戦は僕たちが1-0で勝った。セリエA連覇を狙っていたミランにとって、この敗戦は相当痛かったんじゃないかな。そうそう、当時のミランの監督はザッケローニでしたね。
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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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