東京Dを満員にしたダルvs.田中の直接対決 岩本勉氏が振り返る両エースのすごみ

ベースボール・タイムズ

2011年7月20日、現状では日本での最後の投げ合いとなった、ダルビッシュ有と田中将大。この試合中継で解説を務めた岩本勉氏が当時を振り返る 【写真は共同】

 2011年7月20日、東京ドームで行われた北海道日本ハムと東北楽天の一戦は、日本最終年のダルビッシュ有と急成長していた田中将大の投げ合いに。平日ナイターにも関わらず、ほぼ満員となる4万4826人の観衆を集めた。当時の試合中継で解説を務めた岩本勉氏に振り返ってもらいながら、この対戦が持つ意味、そして外出自粛が続く野球ファンへの“熱い”メッセージを送ってもらった。

大注目のエース対決、超満員でのプレイボール

――今から9年前の2011年、この年の3月に東日本大震災が起こり、開幕が遅れたシーズンでした。当時の状況、心境などは覚えていますか?

 そうですね。開幕が遅れて、嶋(基宏/現東京ヤクルト)のスピーチがあって、まさに日本プロ野球の底力が試された年だったと思います。僕自身も解説者、いち野球人として、野球の魅力をしっかりとファンに届けたい、届けなければいけないと思っていました。その前からパ・リーグの人気が上がってきて、それぞれのチームに色が出てきた頃でしたし、プロ野球自体の魅力もどんどん高まっている頃だと思います。

――当時、プロ7年目のダルビッシュ投手は、すでに沢村賞(2007年)も受賞し、5年連続開幕投手とチームの絶対的エースとして君臨していました。一方の田中将大投手は、プロ5年目のこの年にひと皮向け、19勝5敗、防御率1.27で沢村賞を受賞しました。そして、この2人のシーズン唯一の直接対決となったのが7月20日の東京ドーム決戦でした。

 これがオールスター前の最後の試合で、この試合の戦い方が後半戦へ向けても重要だと、当時も発言しているはずです。僕が現役の時も、前半戦最後の試合で凡ミスばっかりの嫌な負け方をして、後半戦に大失速したことがあった。その意味でも、「この試合は大切ですよ!」と強く言って、解説したことを覚えています。

――前日の予告先発で2人の名前が発表された時から大盛り上がりでした。当日はチケットも完売でした。

 大注目でした。パ・リーグだけじゃなくて球界を代表する投手同士の直接対決。チケット完売でも、試合開始の時点では空席があって、それが埋まるまで時間がかかるのが普通ですけど、この試合はもう最初のヨーイドンの時から満員でしたから。

――初回、先にマウンドに上がったダルビッシュ投手は2者連続三振を含む三者凡退。田中投手も三振1つを奪って3人でピシャリという立ち上がりでした。しかし、2回にダルビッシュ投手が4番・山崎武司に二塁打を許し、1死後に松井稼頭央、横川史学に連打を許して1点を失います。

 こういうことはよくあるんです。大一番だと、先発投手はアドレナリン全開で初回のマウンドに上がるのですが、難しいのはその次。一度ベンチに下がってひと息ついた後が非常に難しい。陸上や水泳のスタートと同じ。1度目と2度目のアドレナリンの量を同じにするのは本当に難しくて、この試合も初回とは違う姿が2回のマウンドにあった。それだけ気合が入っていたということだと思います。

――対する田中投手は3回まで1安打1四球で無失点でしたが、4回裏に先頭の糸井嘉男に四球を許すと、けん制悪送球で無死二塁。ここで日本ハムの4番・中田翔が同点タイムリー。さらに5番・稲葉篤紀がライトへ2ランを放って3点。日本ハムがあっという間に逆転に成功します。

 一つのすきをキッカケに、一つのチャンスで一気に攻めた。これは球場の雰囲気というものがものすごくあったと思います。この頃のファイターズは、2006年、07年、09年と優勝して、チームの戦い方、特徴も、シーズン終盤の戦い方も分かっていて、いろんな経験を持った選手がそろっていた。それはファンも同じで、試合の中での勝負どころ、盛り上げ方も分かっていたし、それがこの回の逆転劇につながったと思います。

日本での集大成を見せるシーズン

2時間23分の至高の投げ合いは、先輩のダルビッシュに軍配 【写真は共同】

――2回に1点を失ったダルビッシュ投手でしたが、3回以降は無失点。3回から7回まで5イニング連続の三者凡退という内容でした。

 もう完璧、すきがないですよね。ダルビッシュは、試合の中で「これ以上は(点を)やってはいけない」という場面で必ず抑える。翌年にアメリカに渡るわけですが、その前に日本で見せていた彼のピッチングというのは、ものすごかったですよ。当時、ダルビッシュへの評価でよく言っていたのが、「連勝には拍車をかけて、連敗は必ず止める」という言葉です。「必ずと言っていいほど」ではなくて「必ず」です。そういうピッチャーでしたね。

――ダルビッシュ投手の一番すごいところ、魅力はどういう部分でしたでしょうか?

 彼の一番すごいところは人間らしいところだと思っています。彼が開幕戦で完封した年(2008年)があったんですが、その次の年の開幕戦で初回に失点(初回に3点を失って9回3失点)して負けた。その数日後に会った時に「実は僕、岩本さんの記録(98年、99年と2年連続で開幕戦完封)を意識してたんですよ」と言ってきた。表面上は口数が少なくて、マウンド上では精密機械と言われていましたけど、実際に話をすると、そういう人懐っこいというか、人間臭い部分がある。そういう部分を知ってからより一層、彼のファンになりましたね。

――ダルビッシュ投手とは現役時代に一緒にプレーされた経験もありますが、そこから数年が経ち、最初の頃とは印象は変わりましたか?

 彼とは1年だけですけど一緒にプレーしました。最初からすごく自分に自信があるという印象はありましたね。でも、最初はエクスキューズが多い選手だなとも思いましたね。僕はもうベテランで右肩下がりでしたから正直、嫉妬の気持ちもあったと思いますけど、それでも「もっとコーチから言われたことを素直にやればいいのに」とも思っていました。でも僕が引退して解説者となって、その間に彼がしっかりと練習して、成長して、結果を残した。そしてふと話をした時には人間臭い部分も見える。ファイターズのエースとして自覚を持った中で、本当に大きく成長したと思います。

――東北高校からドラフト1位で日本ハムに入団したダルビッシュ投手は1年目に5勝の後、2年目から6年連続2ケタ勝利を挙げ、NPB通算7年間で93勝38敗、防御率1.99という素晴らしい成績を残して海を渡りました。

 彼が一番成長した、変わったのは2009年のWBCじゃないですかね。決勝で抑えをした試合。今まで感じたことのないプレッシャーの中で、チームを信じて投げた試合だったと思う。それまでは自分だけを信じて投げていたようにも思いますが、あの試合で周りを信じることを覚え、そこから一人の投手として、人間としてぐっと大きくなったような気がします。それが09年で、そこから3年。この2011年というのは、彼の日本での集大成を見せるシーズンだったと思いますし、この7月20日の試合でも、3回以降はまさにそういうピッチングだったと思います。

1/2ページ

著者プロフィール

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント