連載:Jリーグ・クラシック

岩政大樹が語る“アントラーズ黄金時代” 「07年にリーグ優勝していなければ……」

飯尾篤史

天王山で浦和に完封勝ち、そして“涙の優勝”

優勝を争う浦和との大一番。「いくら走っても疲れを感じなかった」と絶好調の岩政を中心に、直接対決を制した 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

――その後、鹿島はリーグ戦で連勝を続けて2位に浮上し、33節では首位・浦和と直接対決を迎えます。野沢さんのゴールでこの大一番を制したわけですが、この試合は岩政さんにとってベストマッチだそうですね。

 この日の僕は、いくら走っても疲れを感じず、飛んでくるボールがゆっくり感じられるような感覚すらありました。とはいえ、サッカーはチームスポーツなので、いくら自分の調子が良くても、自分と関係のないところで失点し、敗れることもある。ところが、この試合では不思議と危険なシーンが自分の近くで起き、僕が防げることが多かった。

 例えば後半、ショートカウンターを浴びて相馬(崇人)に抜け出され、ワシントンに横パスを出されたシーンがあったんですけど、僕が間に合ってスライディングでカットできた。自分のコンディションが良いだけでなく、いわゆる“当たり日”でもあったんです。この2つがそろうことって、なかなかないんですけど、優勝を争う大一番で2つがそろった。しかも、最後までゼロで抑えるという結果まで付いてきたんです。今振り返っても、自分にとって自信となるゲームだったと思います。

――首位・浦和と勝点1差の2位という状況で、最終節の清水エスパルス戦を迎えます。オリヴェイラ監督の雰囲気作りや岩政さん自身の心境はどうだったのでしょうか?

 浦和戦の前には、オズワルドがレッズサポーターの映像を僕らに見せたんです。「すげえ応援だな」と感じるような映像をずっと。「これ、何の意味があるんだろう?」と僕たちの頭の中には、はてなマークが付いていたんですけど、要は「これだけの雰囲気の中で戦うんだぞ、彼らのスタジアムに乗り込んで戦う覚悟をここで決めろ」ということだった。

 一方、清水戦の前は特別なことはしなかったんですね。ミーティングで「10年後、自分たちが成し遂げた劇的な優勝をきっと思い出す。まさに、その日が今日だ。みんなで歴史を作ろう」という、有名な話はされたんですけど、1週間の準備の中で記憶に残っているものはない。だから、緊張しすぎず、いつもどおりの気持ちで臨めたんだと思います。

 僕自身の心境としては、レッズ戦の勝利でACL出場が決まったんですね。僕らとしてはまずACL出場権獲得が目標だったので、目標をひとつクリアしたという感覚だったと思っていた。でも、日記を振り返ってみたら、「ここ、獲り切らなきゃいけない」と書いてあったんです。意外とタイトルを意識していたんだなと。日記に書くことで、自分に言い聞かせていたのかもしれないですね。

――最終節の清水戦はDAZNのRe-Liveで放映されますが、どんな印象がありますか?

 先制するまでは非常に厳しい試合だったんですけど、そのあとは追加点も取れて、比較的落ち着いてゲームを進められたんです。3-0で勝ったんですけど、すごく覚えているのは、試合後ですよね。試合中は何も知らされていなかったんですよ。後半に入っても何も言われないから、レッズが勝っているんだろうなと。ただ、落ち込むこともなく、最後まで気持ちを切らさず3-0で勝ち切ることだけに集中していた。

 それでタイムアップを迎えたんですけど、その瞬間にオズワルドが突然、ピッチに飛び出してきたので、「えっ?」と思って。「もしかして、これは」と思って隣を見たら、(大岩)剛さんが泣き崩れて。「え、そういうことなの?」と思ったら、他の選手たちもピッチになだれ込んできて、そうなのかと。その瞬間に僕も涙が溢れてしまって。そうしたら、突然、オーロラビジョンにレッズの試合が映って、「え? 終わってないじゃん」って(笑)。

――横浜FCに0-1で負けてはいたけれど、まだ終わっていなかった(笑)。

 この涙、どうしてくれるのって(笑)。これで優勝しなかったらどうしようかな、と思いながら見ていたら、レッズが負けて優勝が正式に決まった。まあ、レッズが引き分けでも、うちの優勝でしたから、優勝はほぼ間違いなかったんですけど、あのタイミングで飛び出さないでほしかったですね(笑)。

次のサイクルに進めたのは「この年があったから」

岩政は「この時に優勝したことで、自分たちのマインドが変わった」と語る 【飯尾篤史】

――優勝を決めた後、岩政さんは「この2年でいろんなことを吸収してくれた。彼とプレーするのが、どんどん楽しくなっている」と言っています。誰についてのことか覚えていますか?

 (内田)篤人ですよね。パウロのときの06年に篤人が入ってきたわけですが、キャンプの段階で、パウロが「内田を開幕戦で使う」と僕に言ってきたんです。「開幕まで、お前が面倒を見ろ」と。それで、サイドバックのカバーの仕方とか、立ち位置の取り方とか、僕が最低限譲れないものを伝えたんですけど、篤人はやるときはやりながら、うまく流すタイプで。

 先輩に言われると、それを忠実にやろうとして自分のリズムを崩しちゃう選手がけっこういるんですけど、彼はその辺がすごくうまい。やっている風に見せながら、自分は自分でこれをやります、みたいな感覚を失わないんですよ。しかも、「やりません」ではなく、やる余裕ができたときにはチャレンジして、少しずつ自分のモノにしていく。それで2年目の07年には、僕の要求をプレーで再現できるようになっていた。まだ、高卒のプロ2年目、19歳でしたから素晴らしかったですね。

――今回、DAZNで07年の最終節、鹿島vs清水戦がRe-Liveされますが、改めて、この試合のどんなところを見てほしいですか?

 鹿島のことを常勝とか、勝負強いとおっしゃってくださる方がたくさんいるんですけど、07年のリーグ優勝がなければ、そう言われることもなかったんじゃないかと思います。本田(泰人)さんや秋田(豊)さん、相馬(直樹)さんたちを中心に90年代後半に黄金期を築き、2000年には3冠を達成しましたけど、03年から4年間はタイトルを1つも獲れなかった。僕が加入してからの04〜06年頃は、自分たちが勝負強いなんて全く思っていなかった。むしろ、勝負弱いとすら思っていて。

 この清水戦は浦和の結果次第でしたから、まずはホーム最終戦ということでサポーターとの空気をとにかく大事にした試合だった。当時は優勝経験のない選手がたくさんいましたから、それが、ちょうど良かったんだと思います。

 この時に優勝したことで、自分たちのマインドが変わったし、世間の見る目も変わった。逆に、このときにリーグ優勝していなければ、リーグ3連覇は当然ないわけですし、自分たちに自信を持てなかったと思います。3連覇のあとも、何かしらのタイトルを獲り続け、次のサイクルへと進めたのは、間違いなくこの年のリーグ優勝があったから。ここから勝負強いと言ってもらえるようになっていくので、そういった目で見ていただけたらな、と思います。

DAZN Re-LIVE J.League Classic Match
2007年 J1 第34節 鹿島アントラーズvs.清水エスパルス 配信中

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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