連載:Jリーグ・クラシック

「27年前のカズさんのプレーを堪能して」 北澤豪が語る“ヴェルディ黄金時代”

飯尾篤史

ヴェルディ黄金時代、カズ(右)は「ゴールゲッターに変貌していった」。チームメートの北澤さんはそう述懐する 【(C)J.LEAGUE】

 温故知新――故(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知る。

 新型コロナウイルスの影響でJリーグが中断して2カ月が経った。Jリーグのない日々が続き、明るい未来はいまだ見えてこない。それでも……Jリーグには27年の歴史がある。こんな状況だからこそ、レジェンドたちの声に耳を傾けたい。新しい発見がきっとあるはずだ。

 第1回はJリーグ黎明期を彩った伝説のチーム、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)にスポットを当てる。Jリーグブームの主役を演じたスター軍団、その主力として活躍した北澤豪さんにJリーグ開幕当時を振り返ってもらった。

今だから言うけれど『車のチームには…』

――1993年、日本初のプロサッカーリーグとなるJリーグが創設されました。北澤さんは当時、どんな心境でプロ化を迎えたのでしょうか?

 90年ぐらいからプロ化の話が僕らの耳にも入ってきたんだけど、最初は半信半疑でしたよね。それまでプロになるなら海外に行かなきゃいけない、という時代を過ごしてきたわけだから。それがどんどん進んでいって、92年にナビスコカップ、そして93年にJリーグが始まった。その頃、僕は20代半ばだったから、タイミングの良さみたいなものをすごく感じました。

 これまで日本のサッカーを支えてきたのに、プロ化に間に合わなかった先輩、キャリアの終盤でプロ化を迎える先輩がたくさんいるわけ。そんな先輩たちが歴史を築いてくれたおかげでプロ化を迎えるわけだから、すごく責任があるなと。

――北澤さん自身もプロ化にあたって本田技研工業サッカー部から読売クラブ、後のヴェルディ川崎に91年に移籍されましたね。

 最初は本田も、浜松から浦和に移ってプロクラブになるという話だったんだけど、結局、断念することになってね。宮本征勝監督をはじめ、ほとんどのメンバー(黒崎久志、長谷川祥之、本田泰人、内藤就行といった選手たち)が1年待って鹿島アントラーズに移ることになったんだけど、自分は1年も待てないなと。それで、古巣のヴェルディに移ることにしたんです。

――やはり移籍するなら、中学生時代を過ごしたヴェルディだと。

 いくつかオファーがあって、条件面でヴェルディより良いチームはあったし、フロントや監督が直接会いに来て、評価してくれたチームもあった。ただ、今だから言うけれど、本田は車の企業だから、『同じ車の企業のチームには行かないでくれ』っていう話になって(笑)。日産(後の横浜マリノス)、トヨタ(後の名古屋グランパス)、マツダ(後のサンフレッチェ広島)以外から選んでくれと。そんな中で、やっぱり読売は自分の原点でもあるし、帰るなら今しかないだろう、ということで決めました。

――93年5月15日に、他のカードに先駆けてヴェルディ川崎vs.横浜マリノスの黄金カードが開幕戦として行われました。当時のヴェルディには北澤さん、カズさん(三浦知良)、ラモス瑠偉さん、柱谷哲二さん、都並敏史さん、武田修宏さんと現役の日本代表が6人もそろっていて、北澤さんはこの試合、ベンチスタートになりました。

 その1カ月くらい前、アメリカ・ワールドカップ(W杯)予選(アメリカW杯・アジア1次予選)に向けた合宿中に疲労骨折しちゃったんですよ。でも、開幕戦のピッチには絶対に立ちたかったから必死にリハビリしてね。後半の頭から出るんですけど、靴底に鉄板を入れて無理やり出ていったんですよ。

――FWマイヤーが先制ゴールを決め、1-0でリードしている後半から武田さんに代わって北澤さんが出場しました。

 後半が始まってすぐ、木村和司さんとぶつかってマリノスにCKを与えて、隙を突かれてショートコーナーからエバートンに決められてしまって。そこまで力む必要もなかったのに、空回りしましたね。結局、逆転負けをするんだけれど、僕にとっては、全く良いところのない開幕戦でした。

突然のオランダ化、サッカー変わって衝撃

――当時、ヴェルディはマリノスに勝てなくて、読売クラブと日産の時代を含めてこの敗戦で公式戦17試合未勝利になりました。なぜ、苦手だったんですか?

 どうだろうね……日産は日本リーグ時代に黄金期を築いたし、木村和司さんとか水沼貴史さんとか、うまい人たちがたくさんいたからね。その後少し下り坂になったけど、Jリーグが始まる頃には、(ラモン・)ディアスや(ダビド・)ビスコンティを獲得してアルゼンチン化して、盛り返してきた。ラモスさんなんか、相手がアルゼンチンだとすごく力が入っていたり、逆に萎縮しているようなところもあったりで、マリノス戦ではらしさを出せなかった。やっぱり、ブラジルの人にとってアルゼンチンと対戦するのは特別なものなんだな、って思った覚えがあります。

――続くジェフ市原(現ジェフユナイテッド千葉)戦では北澤さんにゴールが生まれますが、1-2で敗戦。優勝候補筆頭のヴェルディがまさかの連敗スタートになりました。

 世間では開幕戦での敗戦のインパクトが強いかもしれないけれど、僕らとしてはジェフ戦の負けの方がショックだった。ジェフは古河電工でしょ。本来なら負ける相手じゃないのに負けたわけだから。これはマズいな、という感じでした。

――前期のサントリーシリーズでヴェルディはなかなか波に乗れませんでしたよね。やはり、オランダ化が原因だったんでしょうか?

 それしかないでしょう(苦笑)。ヴェルディと言えばブラジルだったのに、突然、オランダの選手たちが加入して、サッカーが変わっちゃったんだから。あれは衝撃でしたね。誰も受け入れてなかったし、みんなが戸惑っていた。なんで、ああなったのか、今でもよく分からない(笑)。

――当時の監督は松木安太郎さんでしたね。

 それまではペペというブラジル人監督が指揮を執っていたんだけど、クラブとしてJリーグ開幕を日本人監督で迎えたかったのかな。よく分からないけれど、開幕直前にコーチだった松木さんが監督に昇格したんだよね。でも、松木さんはまだ若かったから(当時35歳)、読売時代に監督を務めたことのあるオランダ人のバルコムをコーチとして招いた。松木さんも若い頃に薫陶を受けた人で。そのバルコムが同じオランダ人のマイヤーとか、ハンセンとかを連れてきたんだと思うけど、そこへの哲学は理解できなかったな。

 ヴェルディらしいパスワークがなかなか出せなくてノッキングするし、練習でも試合でも、みんながストレスを抱えながらやっていたから、結果は出ないよね。まあ、まとまってなかったですよ。ラモスさんと松木さんがやり合ったり、(加藤)久さんが移籍してしまったり。

――加藤久さんの清水エスパルスへの電撃移籍は驚きましたね。これがJリーグの移籍第1号でした。

 僕は久さんが試合に出るべきだと思ったし、これまでの功績とかを考えたら、あの扱われ方はないと思ったから、「久さんを使った方がいい」ってメディアに言ったんだよね。そうしたら、チーム批判ということで罰金を取られた(苦笑)。そんなこともありましたね。

――プロ化したことで、ライバルチームのレベルアップを感じましたか?

 どうだろう……やっぱり、鹿島は強くなったんじゃないかな。最初の試合(名古屋との第1節)なんて衝撃だったもんね。アルシンドなんて知らなかったけど、あの試合を見て「やべえヤツ、来たな」と思ったし、ジーコさんも年齢を感じさせないスーパープレーを連発していた。鹿島ってもともと住友金属で、日本リーグの2部だった。それが見違えるように強くなっていて、ちょっとヤバイな、と思ったのは覚えてますね。

――当時、毎週のように土曜日と水曜日に試合が組まれ、過密日程でした。かなりキツかったんじゃないですか?

 それは問題なかったですね。逆に、これだけ盛り上がっているのに1週間に1試合だけじゃ物足りないだろうとすら思っていた。比較対象がプロ野球でしょう。野球は毎日やっているわけだから、サッカーも週3試合やった方がいいんじゃないか、と思っていたくらい(笑)。念願のプロ化で、疲れを感じないくらいテンションが高かったんだろうね。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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