連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
テニス・西岡良仁が地元で育んだ克己心 逆境の中で培い、確立した「考え方の癖」
東京五輪出場を目指す西岡良仁 【Getty Images】
地元・三重が西岡のキャリアの原点
2018年に西岡は“地域活性化プロジェクト”と銘打つテニスクリニック&ファン交流会を地元・三重で開催した 【内田暁】
「僕も、あんな感じだったんですよね」
記憶の針を20年ほど巻き戻し、彼は、自らの“始まりの時”に思いをはせた。三重県津市の市街地から幾分離れた港町に建つ、打球音がこだまするインドアテニススクール――。
そこが、西岡良仁のキャリアの原点である。
2018年12月。両親が経営するこのコートで、西岡は“地域活性化プロジェクト”と銘打つテニスクリニック&ファン交流会を、同期の仲間たちと開催した。企画発案からスポンサー集めまで、全て自分たちで実行した手作りのイベント。“地域活性化”という名称には、生まれ育った町に還元したいという郷土愛と、この地から自分は世界に羽ばたいたという、ある種の矜持(きょうじ)が込められていた。
西岡は世界のトップ100の中で最も小柄な選手
少年時代は、同じサウスポーのラファエル・ナダルのプレーを手本にし、鋭いスピンを体得した 【アフロ】
だが、それら偏見に満ちた視線と声によって、彼の反骨精神と知性は磨かれ、鋭利さを増していく。「どうやれば勝てるだろう?」と考え抜き、とことん勝利にこだわった。それは彼が幼少期から、逆境の中で培い確立した「考え方の癖」でもある。周囲に、元トップ選手や強いライバルがいた訳ではない。それでも「どう打てばコートに入るか?」「どのコースに打つのがいいのか?」と自問自答し育んだ克己心が、彼の内には脈動する。
少年時代は、同じサウスポーのラファエル・ナダルのプレーを手本にし、バウンドが低い人工芝のコートで必死にボールを擦り上げて、鋭いスピンを体得してきた。
その変幻自在な軌道のショットで、チェスのように緻密な戦術をコートに描き、驚異のフットワークでどんなボールも打ち返す。磨き上げた心技体を「ジャンケンに負けるのも許せない」と言うほどの負けず嫌いで組み上げて、西岡は12年の全米オープンジュニアでベスト4、14年のアジア大会で金メダルなど、数々の栄冠を10代にしてつかみ取ってきた。