連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
テニス・西岡良仁が地元で育んだ克己心 逆境の中で培い、確立した「考え方の癖」
わずかに届かなかった五輪の舞台
リオ五輪の前に世界ランキングを少し落としていた西岡は、わずかに出場枠に届かなかった 【Getty Images】
テニスの五輪代表は、基本的には世界ランキングで決定する。56位以内なら確実。国ごとの上限枠などもあるため、実際には60〜65位が当落線となるのが常だ。ただこの年のリオデジャネイロ五輪は、当時中南米に蔓延(まんえん)したジカ熱への恐れなどもあり、直前になって出場辞退者が続出。次々に下位選手が繰り上がり、最終的には100位以下の選手までもが急きょリオへと飛んでいた。
この時、ランキングを少し落としていた西岡の世界での地位は、117位だった。出場枠には、わずかに手が届いていない。もし、その1カ月前のランキングならば、おそらく彼はリオで日の丸を背負っていただろう。
大けがを克服、ツアータイトルを手にした
2018年9月の深センオープンでATPツアー初優勝を果たした 【Getty Images】
世界を震撼(しんかん)させる新型コロナウイルスの影響で、現在のテニス界は男女のツアーを含め、すべての国際大会が中断されている。5月末から6月上旬にかけて開催予定だった全仏オープンの延期も決まり、その間、ランキングも凍結されることが正式に発表された。もし、現在のランキングが五輪出場権を決めるなら西岡の出場は確実だが、それらの案件も含め、未来はまだ不確かだ。
ただそれでも、いくつか確かなことがある。それは、幼少期に地元・三重で培った反骨精神や「考え方の癖」が、今の彼をかたどっていること。
そして、フェルトが輝く原点のコートから歩み始め踏破してきた道は、これから先も、光指すかなたへと続いていくことだ。