テニス・西岡良仁が地元で育んだ克己心 逆境の中で培い、確立した「考え方の癖」

内田暁

わずかに届かなかった五輪の舞台

リオ五輪の前に世界ランキングを少し落としていた西岡は、わずかに出場枠に届かなかった 【Getty Images】

 16年夏。西岡は「もしかしたら、あの場所にいたのは自分かもしれない」と、あり得たかもしれない……だが結果として実現しなかった可能性に、心をかきむしられていた。

 テニスの五輪代表は、基本的には世界ランキングで決定する。56位以内なら確実。国ごとの上限枠などもあるため、実際には60〜65位が当落線となるのが常だ。ただこの年のリオデジャネイロ五輪は、当時中南米に蔓延(まんえん)したジカ熱への恐れなどもあり、直前になって出場辞退者が続出。次々に下位選手が繰り上がり、最終的には100位以下の選手までもが急きょリオへと飛んでいた。

 この時、ランキングを少し落としていた西岡の世界での地位は、117位だった。出場枠には、わずかに手が届いていない。もし、その1カ月前のランキングならば、おそらく彼はリオで日の丸を背負っていただろう。

大けがを克服、ツアータイトルを手にした

2018年9月の深センオープンでATPツアー初優勝を果たした 【Getty Images】

 それから4年――。左ひざ前十字靭帯(じんたい)断裂の大けがを克服し、18年にはATPツアータイトルも勝ち取った西岡は、昨年末から明確に東京五輪に焦点を当て、出場大会のスケジュールを組んできた。もとより数字に強く、戦略や先々の計画を立てるのを得意とする選手だ。自分に足りないものを見つめ、それらを体得しながら自らを駆り立ててきた彼は、今、世界ランキング48位(3月16日時点)へと到達している。

 世界を震撼(しんかん)させる新型コロナウイルスの影響で、現在のテニス界は男女のツアーを含め、すべての国際大会が中断されている。5月末から6月上旬にかけて開催予定だった全仏オープンの延期も決まり、その間、ランキングも凍結されることが正式に発表された。もし、現在のランキングが五輪出場権を決めるなら西岡の出場は確実だが、それらの案件も含め、未来はまだ不確かだ。

 ただそれでも、いくつか確かなことがある。それは、幼少期に地元・三重で培った反骨精神や「考え方の癖」が、今の彼をかたどっていること。

 そして、フェルトが輝く原点のコートから歩み始め踏破してきた道は、これから先も、光指すかなたへと続いていくことだ。

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著者プロフィール

テニス雑誌『スマッシュ』などのメディアに執筆するフリーライター。2006年頃からグランドスラム等の主要大会の取材を始め、08年デルレイビーチ国際選手権での錦織圭ツアー初優勝にも立ち合う。近著に、錦織圭の幼少期からの足跡を綴ったノンフィクション『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)や、アスリートの肉体及び精神の動きを神経科学(脳科学)の知見から解説する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。京都在住。

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