連載:春のセンバツ キラリと光る球児を探せ!

もうスピードガンとは勝負しない 「勝てる投手」へ進化した星稜・寺西成騎

沢井史
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投球スタイルの迷い、怪我などの困難を克服して、4度目の甲子園に挑む寺西に現在の心境を聞いた 【沢井史】

 星稜・寺西成騎の入学時の身長は186センチ。初めて甲子園に出場した1年夏から星稜の輪の中でも目につく存在だった。

 兄・建さん(現:専修大)は投打で高いポテンシャルを発揮し、4年前の夏の甲子園に出場。中学はあの松井秀喜氏(ヤンキースほか)の母校でもある石川県能美市の根上中出身で、そのスケールの大きさに入学当時は“松井の再来”と騒がれたこともあった。

 寺西は中学時代、軟式野球部の一員として全国大会に出場。U-15侍ジャパンにも選出される逸材だった。星稜に入学して間もない1年春にはベンチに入り、夏に甲子園のマウンドを踏むといきなり143キロをマーク。快投ぶりにさらに注目度が高まったが、今思うとそこからが苦難の始まりだった。

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追い続けたが届かなかった奥川恭伸の背中

自分のピッチングを見失うなか、寺西(左から2番目)がいつも見ていたのは先輩・奥川恭伸(同1番目)の姿だった 【写真は共同】

「先輩から『150キロいかなかったらおかしいぞ』とからかわれて、スピードだけを求めすぎてフォームを見失ってしまったんです。その秋に荒山(善宣)コーチとフォームを見直したんですけれど、うまくいかないままで……。1年生の冬場は、体が細かったこともあってまずは体作りを優先して、学校ではウエートトレーニング、自宅ではチューブトレーニングも続けてきました」

 チームには1学年上に奥川恭伸(現:東京ヤクルト)がいた。全国区になっていく身近な先輩の一挙一動はこれ以上ないお手本だったが、逆に大きすぎる存在でもあった。

「奥川さんは何でもしっかりやり切る人。キャッチボールひとつでも1球1球、ただ投げているのではなく、1球ごとに足の上げ方を変えたりして何かを確かめながら投げているんです。意味のある練習をされているので、見ているだけで参考になりました」

 ただ、あれだけの投手でありながら、奥川は特別な練習をやっていた訳ではない。チームメートと並んで同じメニューを黙々とこなし、自分を追い込む。そして実戦モードになると途端にその姿が豹変(ひょうへん)していった姿が寺西の心に残っている。
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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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