連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

中村憲剛、手術前の素直な心境 初めて明かす妻とのライバル関係

原田大輔

妻だけが自分を焚き付けられる

リハビリの甲斐もあって、負傷した左膝は痛みもなくなったが、手術を受ければ異なる状態に 【本人提供】

 中村がひと通り、手術前の思いを聞かせてくれたところで、タイミングよくドアが開いた。3人の子どもたちと、妻の加奈子さんだった。病院の一室ではあるが、すぐに中村家の団欒がはじまった。その様子を微笑ましく眺めていたが、隙を見つけて、加奈子さんに中村が負ったケガについて聞いた。

「今回はケガした後も、慌ただしくて、2人で感傷に浸るような場面がなかったんです。それ以上に、周りに気を遣わせてしまって。会う人、会う人が心配してくれるので、逆に私たちは落ち込むことができなかったというか。お互いにそれはそれでよかったのかもねって話していたくらいなんです。これまでに(中村が)負ったケガよりも離脱する期間は長いですけど、周りのサッカー選手に話を聞けば、(同じケガを)経験している人がたくさんいる。

 それを考えたら、この年齢(39歳)までそういった大きなケガをせずに来たことのほうが、ありがたかったのかなと。引退後に何をするかは決めていないにせよ、ケガをした選手の気持ちが分かったり、知ったりすることができるという意味では、いい機会なのかもしれないなって。本人もこのケガをしたことで、人間として厚みが増すかもしれないって話してくれましたから」

 起きてしまったことを悔やんだり、悩んだりしても仕方がない。受け入れて、前に進んだほうがいい。むしろ、この経験を次に、何かに生かせるのではないか。その思考はまさに中村とシンクロしていた。

 加奈子さんは「それに」と言って言葉を続けた。

「どちらかというと、ライバル心みたいなものがあるんですよ、私。だから、勝手にへこたれたり、折れたりしてほしくないんです。今はさすがに張り合うことはないですけど、彼がプロになったばかりのころは、私も働きたいという思いがあったので、どこかでライバル視していたところがあったんですよね」

 稼ぐためだけに、サッカーをするのであればやめていい。好きなサッカーが苦痛であり、重しになるくらいならば無理をして続ける必要はない。共に中央大学を卒業し、中村が川崎フロンターレに加入して間もないころ、加奈子さんは中村にそう告げていたという。
 ライバル心――率直にいい言葉であり、いい夫婦の形だなと思った。互いに支え、寄り添うが、叱咤(しった)激励しながら高め合っていく。

 だから中村もこう言う。
「ライバルだと思われているからこその言葉を、ここまで俺は散々言われていますけどね(笑)。でも、この人しかいないんですよ。ホントに。俺のことを焚き付けられる人って」

 その言葉を聞いて、また加奈子さんが続けた。
「そういう意味では、今回、全く弱音は吐いていないんですよね。でも、容易にこれから吐くと思いますけどね」

 これまでの2人の歩みが感じられるようなやりとりと、満面の笑顔を見て、病室を後にした。

 そして翌朝、中村は家族に見送られながら、手術室に入ると、嫌だと話していた全身麻酔により、深い眠りに落ちていった。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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