連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

中村憲剛、踏み出した復活への一歩 SNSの声すべてに目を通して決意を誓う

原田大輔

連載:第2回

診断結果を聞いた直後、自分が落ち込むわけにはいかないと中村憲剛はすぐに頭を切り替えた 【(C)Suguru Ohori】

 試合からここまで、時間にすれば「わずか」であり、「たった」だったかもしれない。だが、その間、時計の針は午後8時を回っていた。川崎フロンターレのクラブハウスは、人気(ひとけ)がなく静まり返っていた。

 中村憲剛は、付き添う妻の加奈子さんとチームドクターの本田英三郎が待つ部屋に入ると、診断結果を聞いた。

 左膝前十字靭帯損傷及び左膝外側半月板損傷――。

 2019年11月2日、39歳の誕生日を迎えたばかりの中村は、全治7カ月のケガを負った。

落ち込んだ姿を見せるわけにはいかない

「軽傷」と「重傷」で揺れ動いてきた中村に、厳しい現実が突きつけられた。

 覚悟していたこととはいえ、告げられた瞬間、血の気が一気に引く感覚に襲われた。周囲を見れば、妻や同席していたトレーナーの伊東孝晴がいたたまれない、悲しそう顔をしている。

「こんな状況だからこそ、自分がしっかりしなければいけない」

 中村は一瞬にして気持ちを切り替えた。そして、診断結果を聞いた彼は、一瞬、間を置いて真顔でこう言葉を発した。

「(こんな足の状態になってしまったけど)先生、髪って切りに行ける?」

 その言葉は重く張り詰めていた空気を和らげた。隣では加奈子さんが「最初に聞くことがそれ?」と言って笑った。

 それは周囲への配慮から出た言葉だった。

「ケガしたときって、いつも落ち込めないんです。自分が落胆した姿を見せてしまえば、周りはもっといたたまれない気持ちになってしまう。だから、このときも、自然と重い空気を作らないように努めたんだと思います。言われたときは、さすがにショックでしたが、等々力を出てからクラブハウスに来るまでに、ある程度(前十字靭帯損傷かもしれないという)覚悟を決めていたところもあったので、すぐに気持ちが切り替わったんです。『やってしまったケガはもう仕方がない』なって。

 このときはまだ、手術日も入院する日も決まっていなかったですけど、しばらく入院生活になることは分かっていたので、手術までの間に、伸びていた髪を(この膝の状態で)切りに行けるかどうかを先生に聞いたんです。あとあと振り返れば、自分でもその場の空気に合わない質問をしたなって思いますけど、それだけ周りを心配させたくなかったんだろうなと思います」

 診断結果に落胆しつつも、その瞬間から頭の中は目まぐるしく動いていた。

「39歳になってすぐに前十字靭帯を損傷したわけじゃないですか。2020年には40歳になるんですよ。逆算すればグラウンドに戻れるのは、夏近く。自分がそういう発言をしなければ(周りの)空気が重くなってしまうと思ったんです」

夫婦で気持ち切り替え、治療を開始

 その日の夜から復活への一歩は始まった。クラブから提供してもらった機器を家に持ち帰ると、すぐさま治療を開始した。

「3日間はアイシングと圧迫をひたすら繰り返しました。これを3日間はしっかりやらないと、左膝がパンパンに腫れると言われたんです。パンパンに腫れるとそれだけ腫れが引くのが遅くなるし、腫れが引かないと手術もできないということだったので。今思えば、手術までは日にちがあったので、あそこまでやらなくても良かったかなと思いましたが、告げられてすぐのことで、まだそこまで知識がなかったので、とにかく言われたことを守ろうと必死に集中してやりました。それこそ真面目にやりすぎて低体温になり、始めて3日目に軽い風邪を引くくらいに」

『GAME READY』というアイシングマシンに水と氷を入れ、付属している装具を左膝に巻くと、患部を圧迫しながらアイシングしていく。30分たったら、装具を外して、ガレン(バンテージ)を巻いて膝の圧迫を継続する。痛みもあって、なかなか眠れなかったこともあり、その作業をひたすら繰り返した。

 家では妻の加奈子さんがサポートしてくれた。加奈子さんとは、「このタイミングでこんなケガする?」と夜な夜な現状について会話を交わした。さらに、ここから先のこと、気持ちを紛らわせる些細なことも含め、多くを語らったという。

 今回のケガに対して、夫婦そろってポジティブで、かつ切り替えるスピードが早かったのは、ふたりが常日頃から話の大小にかかわらず、密なコミュニケーションを図っていたからだ。お互いの性格を含め意思疎通が取れていることに加え、大学4年から始まった“ふたり”のサッカー人生において、幾多の困難や歓喜を分かち合ってきた経験から来るものでもあったのだろう。

 容易に歩き回ることができず、じっとしっていれば、必然的に考える時間は嫌でも増える。だが、クラブハウスから家に帰ってからも、中村が落ち込むことはなかった。

「たぶん、自分は誰よりも早く気持ちを切り替えることができていたと思います。当然、動けないから考える時間は増えますよね。そこから、まず始めたのは意味探し。この年齢、このタイミングで前十字靭帯を損傷することになった意味をずっと考えていました。実際には、そんなことを考えてもしょうがないのは分かっていましたが、かといって、それを差し置いて、他のことを考えられるほどの余裕はそのときはまだなかったですね」

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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