連載:REVIVE 中村憲剛、復活への道

中村憲剛、39歳。試練と向き合う男に密着 前十字靭帯損傷をいかに乗り越えるか

原田大輔

連載:第1回

39歳になり最初の試合で左膝前十字靭帯を損傷した中村憲剛。全治7カ月の重傷から復活を期す 【(C)Suguru Ohori】

 2019年11月2日、川崎フロンターレの中村憲剛は、39歳になって初めて迎えた公式戦で負傷した。

 左膝前十字靭帯損傷――診断結果は全治7カ月。

 今年は40歳を迎える。節目を目前にして与えられた試練に中村はどう向き合い、どう乗り越えていくのか。

「自分が頑張ることが多くの人の励みになるかもしれない」

 そう語る彼の生きざま、葛藤、そして心の内に密着していく――。

やるからには完璧に戻らなければいけない

全治7カ月のケガを負うも、「やるからには完璧に戻らなければならない」と力強く話してくれた 【(C)Suguru Ohori】

 よどむこともなければ、臆することもない。

 目の前には、39歳にして負った大ケガにも萎縮することなく向き合う中村憲剛がいた。

 2019年11月2日、川崎フロンターレはホームの等々力陸上競技場で、J1第30節のサンフレッチェ広島戦を戦っていた。1-0でリードしていた後半18分、中村はボールを奪いに行き、相手選手と接触する。そのまま倒れ込むと、担架に乗り、ピッチを後にした。

 左膝前十字靱帯損傷。

 全治7カ月の重傷だった。足を商売道具とするサッカー選手にとって、選手生命に関わる大きなケガであり、39歳になった彼にとっては、なおさら死活問題でもあった。

 それでも……。

「例えば、今の自分が20代中盤で、選手として右肩上がりで成長を実感していて、チームでも地位を築き、日本代表にも選ばれていて、ここからますます飛躍していく時期だったら、きっととてつもなく落ち込んでいたと思います。このタイミングでかよって思う気持ちと、復帰した後も長くこのケガと付き合っていかなきゃいけないわけですから。

 ただ、今の自分はそういう立ち位置の選手じゃないし、しかも、35歳を過ぎてからここまで、MVP(Jリーグ最優秀選手賞)やJ1連覇と、いろいろなものをもらい、選手として充実した時期を送らせてもらってきましたから」

 19年10月31日で39歳になった。Jリーグ全体を見渡しても上から数えた方が早い年齢になった。ここで現役を退いたとしても、決して文句は言われないだろう。

「でも、今は、そんな考えは露(つゆ)にもなくて。むしろ、自分がピッチに戻る姿を絶対に見せたい。それが逆にモチベーションになっている。それに、ここからの自分の復活劇というのは、たぶん、いろいろな人が見てくれると思うんです。自分が復活するまでの歩みを見せることで、残すことで、もしかしたらいろいろな人の励みになるかもしれない。自分が頑張ることで、僕も、私も頑張ろうと思う人がいるかもしれない。そうした思いが今、自分のパワーにもなっている。だからこそ、その時々の心境を知ってもらいたいとも思うんです」

 そして、絞り出すように言葉を続けた。

「だから、戻れませんでしたというのはナシだなって。やるからには完璧に戻らなければいけない」

 中村が思いの丈を聞かせてくれたのは、冬の寒さが本格的に到来し始めた19年11月中旬のことだった。時折、左膝を見つめるしぐさに苦しさを覚えたが、吐き出されるひとつひとつの言葉は力強かった。

 絶頂から絶望とも言える状況に突き落とされながらも、中村は確かに未来を見据えていた。

39歳を目前にして味わったカップ戦優勝

38歳の最後に迎えたルヴァンカップ決勝ではカップ戦初優勝。「若手が喜ぶ姿を見て達観している自分がいた」と語る 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 少しだけ時計の針を巻き戻せば、最高の気分で39歳になる、19年10月31日の誕生日を迎えていた。

 川崎は10月26日に行われたルヴァンカップ決勝で、PK戦にまでもつれた死闘を制し、優勝したのである。

「今まではだいたい誕生日の後だったんですよね、ルヴァンカップ決勝って。だから、これまでの決勝を振り返ると、だいたい誕生日を迎えた一発目の試合で負けるという結果だったんです」

 17年にJ1初優勝を達成した川崎にとって5回目、中村にとっては4回目の挑戦で勝ち得た、もうひとつの悲願でもあった。

「でも、今回(ルヴァンカップ優勝)は一回も泣いてないんです。リーグ優勝のときは、初めてのことだったからたまっていたものもあったし、うれしすぎて大泣きましたけど、今回は一滴も涙は出ていない。涙が出るほどうれしかったけど、それよりもやっと獲れたっていうホッとした気持ちの方が大きかったです。ショウタ(新井章太)が相手のシュートをキャッチして優勝が決まって、シンタロウ(車屋紳太郎)がうつぶせになってわんわん泣いていて、その瞬間はグッときましたけど、ピッチにはJ1優勝を経験していない選手たちもいて、『早い段階で、若い選手たちに優勝を経験させてあげられて良かったな』って思ったんです。クラブにとっても3年連続のタイトル獲得につながって、やっぱり、これを日常にしなければダメだなってあらためて思っていたんです」

 川崎でプレーして17年目。歓喜しつつも、少しだけ達観している自分がいた。

「(ルヴァンカップ決勝の)120分プラスPK戦は、本当にフロンターレがカップ戦を獲るまでの20年間の歴史が凝縮されたような試合だった。延長戦になり、ショウゴ(谷口彰悟)が退場して、その後のリスタートで失点したときには、試合中に『これだけやってきても、まだ勝たせてくれないのか』と思いましたから。僕は、自分も含めたクラブみんなの思いを、どうにかして結実させたいという気持ちでプレーしていた。それが実ったから、たぶん、みんなもあれだけ泣いていたんだと思います」

 中村が苦しみながらも、試行錯誤しながらも築いてきたものが、着実に後進へと受け継がれていく。それを実感した、できた38歳の終わりでもあった。

「39歳の誕生日を迎えたときも、意気揚々とテンション高くやってやるぞみたいな。だから、あんなケガをしてしまったのかもしれません」

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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