野球のエリート街道を歩み続けた喜多隆志 こだわりを捨てて臨んだ“勝負の5年目”
ドラフト1位で千葉ロッテに入団した喜多隆志。2002年には2試合連続でサヨナラ打を放ち、将来を嘱望された 【写真は共同】
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夢を実現させ続けた野球人生
5年間で終わったプロ生活についてどう思っているのか。喜多隆志に本音を聞いた 【写真は共同】
「悔いはないですよ。今、指導者になれて本当に良かったと思っているんです」
高校時代から物静かで、感情をあらわにした姿は見たことがない。ひとつひとつ、言葉を選びながら丁寧に思いを明かしてくれた喜多。現在、春夏計7度の甲子園出場がある大阪の興国高校野球部の監督として、グラウンドに立ち続けている。実は指導者は目指している職業のひとつだった。
「中学生の頃は甲子園を目指していて、その後はプロ。そして現役を引退したら野球の指導者になりたかったんですよ」
つまり、その3つの夢をすべて叶(かな)え切ったということになる。だが、ちょっぴり悔しそうな表情を見せてこうも呟いた。
「もう少し、やれたかなとも思いますけれどね」
華々しいプロデビューを飾るも…
高校、大学で優勝を経験。喜多は輝かしい実績を引っ提げてプロの扉を叩いた 【写真は共同】
「大学生になってから本格的にプロを意識するようになりました。ただ、オリンピックにも行きたかったのが本音。そこは叶(かな)えられていないんですけれどね」と苦笑いを浮かべる。
千葉ロッテに入団した1年目には、5月にパ・リーグ史上8人目の2試合連続サヨナラ打を放ち、慶大時代に見せた存在感をプロでも残した。幸先の良いプロ野球生活をスタートさせたものの、以降の喜多の足取りをたどると、特筆する数字がなかなか出てこなかった。
「プロの厳しさを味わったというか…本当の自分の実力を知らなかったのかもしれません。一番痛感したのはスピードです。走塁や球、すべてですね。対応力も含めて、ミスショットも多かったです。プロのピッチャーの球質やコントロールに対して追求できていなかったのもあります。自信はあったんです。もっと活躍したかったというのが本音ですね」