連載:プロ野球 あの人はいま

野球のエリート街道を歩み続けた喜多隆志 こだわりを捨てて臨んだ“勝負の5年目”

沢井史

ドラフト1位で千葉ロッテに入団した喜多隆志。2002年には2試合連続でサヨナラ打を放ち、将来を嘱望された 【写真は共同】

 俊足巧打の外野手として、高校、大学と聖地を駆け抜けた喜多隆志。鳴り物入りで千葉ロッテに入団したが、プロの世界では分厚い壁にぶつかった。もがき苦しんだ上、わずか5年間でプロ野球生活を終えることになったが、喜多の中ではすっきりと現役選手を終えられたという。その理由はどこにあるのだろうか。

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夢を実現させ続けた野球人生

5年間で終わったプロ生活についてどう思っているのか。喜多隆志に本音を聞いた 【写真は共同】

 1997年、智弁和歌山の夏の甲子園初優勝を彩った1人として、高校野球ファンの中で今でも記憶されているのが喜多隆志だ。慶応大に進み、千葉ロッテにドラフト1位で入団するなど華やかな野球道を歩んできた。だが、自身が描いていた時期よりもあまりにも早く現役を終えたことに関しては、果たしてどう思っているのだろうか。

「悔いはないですよ。今、指導者になれて本当に良かったと思っているんです」

 高校時代から物静かで、感情をあらわにした姿は見たことがない。ひとつひとつ、言葉を選びながら丁寧に思いを明かしてくれた喜多。現在、春夏計7度の甲子園出場がある大阪の興国高校野球部の監督として、グラウンドに立ち続けている。実は指導者は目指している職業のひとつだった。

「中学生の頃は甲子園を目指していて、その後はプロ。そして現役を引退したら野球の指導者になりたかったんですよ」

 つまり、その3つの夢をすべて叶(かな)え切ったということになる。だが、ちょっぴり悔しそうな表情を見せてこうも呟いた。

「もう少し、やれたかなとも思いますけれどね」

華々しいプロデビューを飾るも…

高校、大学で優勝を経験。喜多は輝かしい実績を引っ提げてプロの扉を叩いた 【写真は共同】

 慶応大では早くから期待をされていた喜多は、1年春から巧みなバットコントロールを見せ、打線をけん引。木製バットに苦しんだ時期もあったが、4年秋には.535という高打率を残し、前年の秋のリーグ戦を含む2度のリーグ優勝に貢献。ベストナインに4度選出されるなどリーグを代表する巧打者に成長した。ずっと夢を見てきたプロ野球への世界が現実味を帯びるようになったのもこの頃だ。

「大学生になってから本格的にプロを意識するようになりました。ただ、オリンピックにも行きたかったのが本音。そこは叶(かな)えられていないんですけれどね」と苦笑いを浮かべる。

 千葉ロッテに入団した1年目には、5月にパ・リーグ史上8人目の2試合連続サヨナラ打を放ち、慶大時代に見せた存在感をプロでも残した。幸先の良いプロ野球生活をスタートさせたものの、以降の喜多の足取りをたどると、特筆する数字がなかなか出てこなかった。

「プロの厳しさを味わったというか…本当の自分の実力を知らなかったのかもしれません。一番痛感したのはスピードです。走塁や球、すべてですね。対応力も含めて、ミスショットも多かったです。プロのピッチャーの球質やコントロールに対して追求できていなかったのもあります。自信はあったんです。もっと活躍したかったというのが本音ですね」

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著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

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